yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 112  奥女中江島事件断罪の背景は

 1714年正徳4年甲午(きのえうま) 奥女中江島(えじま)・生島の恋愛沙汰による断罪の背景は単なる密通問題ではない。


 将軍家継を擁立して、権勢を振るう月光院や側用人間部詮房(まなべあきふさ)や新井白石に対する譜代大名・旗本や6代将軍家宣の正室天英院らの反感があったといわれている。


参考 江島は6代将軍家宣の生母、月光院の側室左京の局(さきょうのつぼね)に仕えた大年寄(大奥女中の総頭で老中に匹敵する地位)


 江島が月光院の名代(みょうだい)で上野の寛永寺および芝の増上寺に参詣した折、木挽町(こびきちょう)の芝居小屋山村座に遊び帰城が夕暮れに及んだことが事件の発端になった。


 評定所の判決の結果、江島は死一等を減じられ、遠流(おんる)となった。


 罪状は、その身は重職にありながら、御使、宿下(やどさがり)のときにゆかりもない家に2晩も宿泊したこと、誰彼(だれかれ)となくみだりに人を近づけたこと、芝居小屋に通い役者(生島新五郎)となれ親しんだこと、遊女屋に遊んだこと、しかも他の女中たちをその遊興に伴ったことなどである。


 相手の生島は三宅(みやけ)島に流罪、絵島の兄の白井勝昌(かつまさ)は死罪に処せられた。そのほか多数の連座する者が刑罰を受けた。


 出入り商人の連座者が多いことから、江島事件断罪の本当のねらいは大奥と出入り商人をめぐる利権争いによる贈収賄事件としてとらえられている。


 江島は27年間の囲い屋敷での生活を過ごし、1741年(寛保1)に61歳の生涯を閉じた。生島はその翌年に赦されて江戸に帰った。
 
 少しのことに言いがかりをつけて、相手を消していく手法は古今東西に共通する権力者のやり方である。



http://www.ctb.ne.jp/~bonta108  遊行ライフ十人十色



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