yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 104  柳沢吉保 大老となる

 1706年宝永3年丙戌(ひのえいぬ) 幕府は相も変わらず財政の窮迫を救うために元禄銀の銀の含有量を50パーセントとして新銀貨を鋳造・発行した。


 通貨は膨張して実質低下となり物価は騰貴するもそれを抑制する政策は打てなかった。諸物価引き下げ令を出し、暴利の豆腐屋まで処罰する一方、相も変わらず生類憐みの令に違反するものを厳しく処罰した。


 

生類憐みの令において多くの保護規定が出されたのは、犬に関することだった。法令違反者に対する罰則はかなり厳しく、家来が犬に噛み付かれたためその犬を斬り殺したところ、なんと切腹を命じられた藩主がいたり、銃で鳥を撃って商売していた与力や同心らは、それが発覚して11人が切腹を命じられたほか、子どもも流罪(るざい)に処せられたほどだった。

 野良犬が増えて、対策に困った幕府は、当時は田園風景が広がっていた江戸近郊の中野や喜多見、四谷などに犬小屋(お囲い)を設け、そこで犬たちを飼うことにした。

 特に、中野の犬小屋は16万坪もの広大な敷地に築かれ、収容された犬の頭数は実に8万2000頭、年間のエサ代は9万8000両(現在のお金に換算すると数十億円)に上ったというから驚きである。しかも、その金を負担したのは江戸や関東の村々だったのである。

 将軍綱吉は正月に柳沢吉保を大老として甲府藩領内での金貨鋳造を許可した。権力の座について、14年目のことであった。
 綱吉の将軍在籍が27年目に入り、大方の日本人はうんざりしていた。特に、生類憐みの令でどれほどの人が苦しめられたて来たか、おまけに文治主義の国づくりは国力をなくし、国民にとっては江戸幕府始まって以来の最悪の状況であった。


 有効な手が打てない政府であった。どうしようもない権力集団に国民は飽き飽きしていた。



http://www.ctb.ne.jp/~bonta108
 遊行ライフ十人十色の人生

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