yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 95  貨幣政策失敗・増税へ

 1697年元禄10年丁牛(ひのとうし)徳川幕府95年間の歴史を大雑把に眺めてきたが、現代社会と重なる部分が多く驚いている。政治の公私混淆やお友達幕閣、規制規制で庶民を締め上げていく。
 さすがに現代は生類憐みの令や不義密通による死罪などはない。
 厳しい面では、実の妹を売った茶坊主が死罪となり、護国寺門前で町人を殺害した与力(下級武士)2名を切腹にした。これなども上級武士であればお咎めなしということである。


 徳川綱吉は柳沢保明(後の吉保)の屋敷を訪問し三奉行の裁判状況を見聞した。


 廊下に寺社奉行4人、町奉行2人、勘定奉行4人が列座して、大老以下が列挙しておしらすに訴訟の人民を召し出して裁断するのを将軍はお座敷の御簾のなかから見聞する。


 この時の訴訟は、牧場の訴論、商家の奉公人の負債、町人の密通、小売酒屋の貸、米酒油の借り、町人の妻の悪行、店賃、道、預金の返済不能、店借の保証人、材木、社人未社の争い、捜索せらるるもの、家売り、盗賊の15件であった。


 裁判内容は多岐にわたり現代の裁判内容とそれほどに変わりはない。ただ当時の裁判が公正であったかというと現代と同じで幕藩体制の意向がそのままに出ていたようである。


 また、勘定奉行の荻原重秀の建議により元高500石以上の旗本の蔵米を取りやめて地方知行とした。増税対策の一つとして中央から地方への負担を多くした。


 徳川幕府は経済の面から破綻をし始める。この後じわりと首を絞めていくことになる。
しかし、封建制度が壊れていくまでにはしばらくの時が必要である。生活や思想、封建思想を突き崩す文化が育っていくのがこれからの江戸時代の流れである。


 商業資本と民衆文化の台頭を待つ。元禄時代である。


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  遊行ライフ

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