yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば86  芭蕉45歳 西鶴「日本永代蔵」刊行

 1688年貞享5年戊辰(つちのえたつ)元禄元年(9月30日)
側用人の人数が老中より多くなり将軍の側近として御用部屋を持つようになった。
11月に柳沢保明・南部直政が側用人となちやがて保明は実権を握るようになった。老中の諮問を待たずに将軍が直接、側用人に命じ執行させた。


歳旦吟  二日にもぬかりはせじな花の春 
      (宵の年に飲み過ぎた。2日の朝、初春の気分を味わうことにしよう。)


二月初め、伊勢神宮参拝、杜国(とこく)に会う。


何の木の花とは知らず匂哉 
  (神殿に向かって額ずいていると、妙なる匂いが、何の花だろう。身も心も清められ
   る。)


 2月18日、父の33回忌追善法要を実家で営む。


 3月、旧主家藤堂探丸子の別邸に招かれる。探丸子は伊賀の小大名・藤堂良長。芭蕉はかつて、その父・藤堂良忠に近侍した。探丸子は殊の外芭蕉を慕い敬愛した。


さまざまの事思ひ出す桜かな  
  (思い出の感慨に言葉もなくただ涙ぐむばかりであった。)


 3月19日、杜国(万菊丸)を伴って吉野の花見へ、4月23日京都に。


扇にて酒くむかげやちる桜
  (扇で酒くむ所作ごとの、その上に花が散りしきる。)


ちゝはゝのしきりにこひし雉の声
  (高野の奥に佇んで雉の鳴き声を聞く。父母の慈愛が胸いっぱいにあふるる。)


草臥(くたび)れて宿かる比(ころ)や藤の花
  (歩き疲れて宿を乞う。暮れていく夕靄の中に藤の花房。旅愁しばし)


 8月11日


おくられつおくりつはては木曽の秋
  (出会いと別れを重ねた旅。木曽路の山中で暮れることになった。秋だ。)


 8月15日、信濃の国更科の月見に赴く。


俤(おもかげ)や姨(をば)ひとりなく月の友
  (中秋の名月の夜、更科の里に入った。月下の姨捨山を見る。哀れ深い伝説の里で、            姨を慰めその俤を友として一夜を過ごそう。)


 善光寺に参詣した後、碓氷峠を経て江戸に帰る。この旅の紀行が「更科紀行」である。


 芭蕉の江戸での生活は来訪者が多く多忙を極めた。


杜国 本名坪井庄兵衛。名古屋の蕉門の有力者。芭蕉が特に目を掛けた門人の一人(真偽のほどは不明だが師弟間に男色説がある)

 杜国は名古屋御薗町の町代、富裕な米穀商であったが、倉に実物がないのにいかにも有るように見せかけて米を売買する空米売買の詐欺罪(延べ取引きといった)に問われ流罪となる。

 もっとも監視もない流刑の身のこと、南彦左衛門、俳号野人または野仁と称して芭蕉とともに『笈の小文』の旅を続けたりもしていた。

 元禄3年2月20日、34歳の若さで死去。


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