yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば79  芭蕉38歳 側用人の政治介入の始まり

 1681年延宝9年辛酉(かのととり)天和元年(9月29日)5代将軍綱吉は30代の壮年で文治政策の支持者であった。12月に彼の擁立に功のあった老中堀田正俊を大老に、側衆牧野成貞を側用人として政治の世界に起用。側用人は老中の次席で近習出頭ともいい将軍と老中の連絡係であった。
 牧野成貞の禄高はわずか2000石であったのが側用人就任後は下総関宿7万3千石の大名となる。


 37歳で宗匠の生活から引退し、深川の草庵に移り住む。門人の李下より芭蕉の株を贈られ、これが繁茂してやがて草庵を芭蕉庵と号するようになる。このころから俳号「芭蕉」が現れる。

 38歳の句、3句紹介


侘テすめ月侘斎(つきわびさい)がなら茶哥(うた)   芭  蕉

 侘しさに徹するが良い。月侘斎(芭蕉)は酒ならぬ奈良茶飯をくらって吟ずる。覚悟して深川の草庵に入ったがストレスが大きいようだ。


芭蕉野分(のわき)して盥(たらひ)に雨を聞夜哉   芭  蕉

 吹きすさぶ野分の中、草庵の闇に芭蕉の葉音、じっと耐えていると盥に響く雨漏りの音がひとしお身にしみいる。


櫓の声波ヲうつて腸(はらわた)氷ル夜やなみだ    芭  蕉

 夜の江上にさえる櫓の音、寒々とした波の音に耳を傾け、草庵の侘びを耐えていると腹の底まで凍てつく思いがして不覚にも涙した。


 貧窮と孤独に耐え、身をもって実感した感情や感覚の中から「侘び」の本質に迫る第一歩が始まった。「侘び」は人生そのものである。生きることの奥の方を流れる「侘び」を体験して覚。「軽み」から「侘び」へ。