yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば78  芭蕉37歳 4代将軍家綱没

 1680年延宝8年庚申(かのえさる)5月8日に家綱が40歳で病没。一人権力をほしいままにしていた大老酒井忠清は5代将軍に京から有栖川宮幸仁親王を迎えようとした。
 しかし、水戸藩主徳川光圀や堀田正俊の反対にあい実現しなかった。予定通りに弟の舘林藩主綱吉(30代の壮年)が第5代将軍についた。
 この年を最後に大老として22年間権力の座にいた酒井忠清は隠居させられて、忠清の独裁に終止符が打たれた。


 芭蕉は4年かけて小石川の水道を完成させて、そのような功績を捨て深川芭蕉庵に入り出家する。なぜ公共事業という安定した仕事を捨ててまで辺鄙な深川へ転居したのであろうか。それなりに深い理由があったのではなかろうか。この辺りについては理解に苦しむところである。


37歳の句、3句紹介


枯枝に烏のとまりたるや秋の暮        桃  青(東日記)
かれ朶(えだ)に烏のとまりけり秋の暮    芭  蕉(曠野)


参考、東日記は延宝9年(1681年)刊。曠野(あらの)は元禄11年(1689年)刊。桃青から芭蕉になっての変化、推敲の後をみるのも参考になる。


雪の朝独リ干鮭(からざけ)を噛(カミ)得タリ   桃   青

 孤独に耐え貧に甘んじる草庵生活を噛みしめている。何故だ。


石枯(かれ)て水しぼめるや冬もなし        桃   青

 万物ことごとく凋落していくことの自覚が出家して草庵生活に入った一番の決意かも。覚悟だ。


 芭蕉の遊行ライフの始まりは草庵生活からであろう。