yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば73  芭蕉32歳 宗房より桃青と改める

 1675年延宝3年乙卯(きのとう)5月、東下中の談林派の総帥、西山宗因歓迎の百韻を興行。


 立句(たてく)「いと涼しき大徳也(なり)けり法の水」宗因。

 立て句とは、俳諧で連句における発句(ほっく)のことで、単独の発句(=俳句)と区別するための呼び方。


 この年に松倉嵐蘭(らんらん)29歳と服部嵐雪(25歳)が芭蕉(桃青)に入門する。芭蕉が俳諧師として頭角を現してきた証であろう。


 日本古典文学全集の芭蕉全集より、32歳の句、1句。


 町医師や屋敷がたより駒迎(こまむかへ)   五十番句合

 参考=町医師は江戸時代、民間で開業していた医者のこと。大名その他の武家のお抱え医者に比べ、地位が引くかった。駒迎へは、昔から8月の駒牽き(こまひき)のとき、諸国から貢進(こうしん)する馬を、8月15日に左馬寮の使いが逢坂の関まで出迎えたこと。


 腕前を認められた町医者がさる大家から馬で迎えられた。古来駒迎えは宮中の左馬寮(さまりょう)から迎えが出るのであるが、これはまた屋敷方よりの駒迎えとは珍しいことよ。  季語は「駒迎」で秋


 町医者という庶民感覚の題材を取り上げたところが桃青としての新しい方向かも。談林派の隆盛を支える桃青(芭蕉)の活躍がしばらく続くことになる。