yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば71  芭蕉30歳 井原鶴永、西鶴と改号

 1673年寛文13年癸牛(みずのとうし)9月21日に延宝元年となる。 時の権力者として、大老の酒井忠清の一人舞台となる。


 6月に井原鶴永(かくえい)(32歳)、西鶴と改号して大坂の生玉南坊で万句俳諧を興行して、生玉万句を出版する。
 大坂談林の雄、井原西鶴が浮世草子の第一作「好色一代男」に筆を染めたのも天和元年(1681年)西鶴40歳のときである。


 一方芭蕉は、29歳で江戸に出て、2,3年で俳壇に頭角を現し、34歳から36,7歳ごろまで、新進の俳諧宗匠として活躍する。大阪の西鶴と江戸の芭蕉は談林俳諧全盛期の東西の雄であった。


 俳諧人口の増大が俳諧宗匠としての職業的地位を安定させた。


 芭蕉が吟先生とよんでいる北村季吟はこの年に「源氏物語湖月抄」を完成させる。


 発句合(ほっくあわせ)がどういうものであったのか、「貝おほひ」の序を読んでみるのが一番である。日本古典文学全集の口語訳の一部を紹介してみよう。

『小六の突いた竹のつえ…』と、小唄に歌われる竹の杖には節々が多いけれど、そのようにさまざまな節多い小唄の文句を材料とし、あるいは、はやり言葉の、おもしろいものを種として、詠み捨てられた発句を拾いあつめ、右と左に分けて、二人がつれぶしで歌うように、二つの句を対照させ、その句の横へこのわたしが、へたな文章で、なぐさみ半分のうさ晴らしに、どちらの句が正しいだの、格が上だのと書きつけて、左右六十句、三十番の発句合を思い立った。・・・(以下略)


 句の優劣の判定をのべた言葉を判詞(はんし)という。この判詞を読むとその人の力量がよく理解できる。