yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば70  芭蕉29歳  芭蕉江戸へ下る

 1672年寛文12年壬子(みずのえね) 芭蕉は親類・縁者の後援を得てかねてより計画していた江戸に出た。江戸に出るにあたって芭蕉は「貝おほひ」という作品を完成させて、これを上野の菅原神社(天満宮)に奉納した。


 29歳の芭蕉の決意と覚悟が処女出版の「貝おほい」に籠められていた。


 発句合わせの「貝おほひ」には流行歌謡や流行り言葉が縦横に駆使されたこれまでにない斬新な発句合(ほっくあわせ)であった。
 これを機会に貞門風の俳諧から談林風に転向し俳号も3年後の32歳に「桃青」と改めた。
参考、貝おほひとは多くの蛤の貝殻から、同じ形のものを合わせて取るゲーム。句合わせに掛けて書名とした。処女出版のこの30番(30組)の句合(くあわせ)で2句一組にして句の優劣を芭蕉が書く。それを判詞という。
 この判詞と序文に芭蕉の力量が十二分に生かされている。縁語や掛詞、源氏物語や狭衣物語などを引用して自由に駆使して才気縦横な青年時代の芭蕉の一端を知ることができる。


 判詞の一部に気になる文章がある。
「われもむかしは衆道(しゅどう・男色)すきの」と「伊勢のお玉はあぶみかくらか、といへる小歌なれば、たれも乗りたがるは断りなるべし」


 俳諧師になるべく覚悟を決めた処女出版に、自分は男色(だんしょく・なんしょく)であったと公開したことはどういう意味があったのか、江戸時代は男色が一般的であったのであろうか。伊勢のお玉の引用は男の感覚を感じさせる。


 30代からの俳諧や俳文を通して、芭蕉の生活感覚や実生活を思い描いてみたい。