yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば68 芭蕉27歳 本朝通鑑(つがん)成立

 1670年寛文10年庚戌(かのえいぬ)『本朝通鑑』(ほんちょうつがん)は、江戸幕府により編集された漢文編年体の歴史書。寛文10年(1670年)成立。全326巻。林家の林羅山、林鵞峯(春斎)父子を中心に編纂された。幕府の立場に立った儒教的合理主義がみられる。


 神代から後陽成天皇(1586-1611在位)の代までを記している。倫理的な判断を避け、史実を書くことが方針とされているという。


 岡村正辰編の大和順礼に「伊賀上野宗房」として発句二句が入集。この当時芭蕉は「宗房」の俳名で伊賀上野に在住して投稿していた。


 芭蕉は俳諧師としての生き方を自覚してその準備に入ったようである。


 貞門風の俳諧から談林風の俳諧に関心が移っていく時代。


 芭蕉の俳名が変わっていくときに芭蕉の俳句も変化していった。
 宗房時代は松永貞徳を祖とする古風な句で、次いで桃青時代は談林派(西山宗因を中心にした軽妙な口語を使用した滑稽な着想の俳諧)、そして芭蕉(はせを)と改めた時代は、蕉風俳諧に移っていく。


 芭蕉がもともと持っていた「軽妙・滑稽」な笑いの精神が談林派の隆盛に先駆けて、27歳、28歳、29歳の芭蕉の働きが談林派の流行に火をつけたようである。


 芭蕉の大きな変化として、貞門派(宗房時代)から談林派(桃青時代)の俳諧と芭蕉の生活を検証してみたい。