yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

つぶやき 95  十人十色の遊行ライフ 鴨 長明

 鴨長明が遊行ライフの入り口に立った時の意識が方丈記であろう。


 「あるがままの自分」を受け入れる自己受容の始まりが方丈記の執筆であったと思う。


 平安貴族のお坊ちゃんとして何不自由なくちやほやされて育った長明が方丈の一室に閉じこもって一気呵成に方丈記を書き上げた。

 方丈=一丈四方(九平方メートル)の正方形の部屋。


 インドの維摩(ゆいま)という大富豪が、出家をしないで仏教に帰依し在家の仏弟子として方丈の部屋で修業した。維摩の精神、自由と愛の境地を自分の精神の最終目標に方丈の一室に立てこもる。


 そのような生き方の手本が歴史的に早くから存在していた。


 鴨長明は「新古今和歌集」に歌が十首も採られている歌人で、後に宮中の和歌所の寄人(よりうど)15人のなかの1人に選ばれている。


 寄人=平安時代以来の朝廷の諸官衛、鎌倉時代以来の幕府の諸機関におかれた職員の称。召人(めしうど)。


 長明は鴨氏の一族で、父、鴨長継の次男として生まれた。
 父長継は河合社(ただすのやしろ)の禰宜(神官)であり、後に加茂御祖(みおや)神官となった。
 長明が幼少のころ、保元の乱と平治の乱があり世の中は貴族から武家へと権力が動き始めた。
 平安貴族のお坊ちゃんは10歳にもならぬ歳に五位を授けられ、ゆくゆくは父方の祖母の遺産を相続することが周囲の人たちに了解され何の不自由もなく育った。

 しかし、父長継は長明が20歳にならぬうちに早世し鴨一族の実権者が交代し、長明は親族から疎外され妻子とも別れることになった。長明には父在世中のまだ10代のころ幼な妻に産ませた子があると言われている。長明自身も父の17歳の時の子だという。

 父の早世によって、あらゆることが思うようにはいかなくなって、「自分はもう要らぬ人間になってしまったのか。」という自覚が長明の意識の中に現れてきた。
 そのような生活や意識の中で書き上げたのが方丈記である。あるがままの自分を受け入れる第一歩の執筆活動であったと考える。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人と栖と、またかくのごとし。・・・朝に死に夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。・・・その主と栖と無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて、花残れり。残るといヘども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。


 この文章を経のように唱えると心が落ち着き80歳のあるがままの自分を確りと意識することができる。遊行ライフの「自己受容」の基本である。