yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 50  浪人とかぶき者対策

 1652年 慶安5年壬辰(みずのえたつ)承応元年(9月18日)
9月に浪人,戸次(別木)庄左衛門・林戸右衛門らの老中暗殺計画が発覚して処刑されるという承応(じょうおう)事件が起こる。


 戸次庄左衛門が同志数人と崇源院(徳川秀忠の正妻)の27回忌が増上寺で営まれるのを利用し、放火して金品を奪い江戸幕府老中を討ち取ろうと計画した。
 しかし、仲間の一人が老中・松平信綱に密告したため庄左衛門らは捕らえられて処刑された。


 備後福山藩士で軍学者の石橋源右衛門も計画を打ち明けられていながら幕府に知らせなかったということで磔の刑に処せられ、老中・阿部忠秋の家臣である山本兵部が庄左衛門と交際があったという理由で信忠は老中・阿部忠秋に山本の切腹を命じている。


 時代の流れとして、若者の「かぶき者」スタイルが流行り、女物の着物をマントのように羽織り袴に動物の皮をつぎはぎした異様な派手な服装で徒党を組んで行動した。飲食代を踏み倒したり、金品を強奪したりと乱暴狼藉を働いた。


 いつの世も若者のこうした常識を破った行動で権力や秩序への反発を表現することが起こるものである。愚連隊や暴走族なども「かぶき者」のながれをくむ伝統的な示威行動である。


 旗本奴や町奴は集団的にそして組織的に「かぶき者」としてはびこっていった。代表的な旗本奴は「水野十朗左衛門」で町奴の代表は「幡随院長兵衛」であった。