yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 45  諸大名の報告義務

 1647年 正保4年丁亥(ひのとい) 報告義務を怠ったり、ましてや書類を破棄したりというようなことは考えられないことである。
 命令違反は即処罰の対象になった。御国取り潰しも当然考えなければならない。


 大臣辞任なんて、そんな甘いものではない。


 諸大名に証人の知行高・実子惣領・年齢を報告させる。


 幕府は諸大名の重臣の妻子を年数を決めて江戸屋敷に人質として住まわせていた。この時の規定では、
① 次子を出すときは長子を出せない理由を書くこと。 
② 妻に子がなく養子を出すときは、実子のないことを記し、その養子は親戚
 か他家か、婿養子か、その実父の名前を記すこと。
③ 兄弟があれば、兄弟の人数、長子次子ともに出さないときはその子細を記
 すこと。
④ 姉妹のときは男の兄弟の子細を記し、孫出すときは長子の子か二、三男の
 子か。また外孫のときはその父の姓名を記すこと、娘を出すときは男子の
 いない事情を記し、長女か二女か、また末女か、長女を出せない子細を記
 すこととなっている。


 6月にはポルトガル商船が来航し通称再開を要請したが、幕府は九州の諸大名に警備のために船八九八艘と兵四万八三五四人を動員して要請を拒絶した。


 幕藩体制の維持のために、人質や参勤交代を厳しく管理して、鎖国によってキリシタンを阻止した。それでも幕藩体制は次の社会体制に向かって流れ始める。
 その推進力になったのが教育である。教育の力に待つ。陽明学。


 遊行ライフ(行雲流水の境地)