yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 38  家光のマンネリ化か

 1640年 寛永17年庚辰(かのえたつ)将軍も18年になると少しマンネリ化してきた点も見受けられる。


 4月5日に江戸城本丸の再建が成り、家光はニ丸から本丸へ移動した。諸大名からの進物は莫大なものであった。諸大名や幕臣に倹約令を出しているのに当の家光は遊猟や御前試合、茶会や能楽と浪費がかさんでいた。


 江戸庶民の生活の変化も最初に髪型に現れた。髪型を変えることが一番の手っ取り早く金のかからない心の表現であることは、今も昔も変わらない。


 江戸で髪結職人に鑑札を下付する。


鑑札=営業または行為を許可した証。あらゆる面で「鑑札」という言葉で規制していた。規制することによって、相当の金銭が動いていた。


 男性の髪型が複雑化していき髪結いを専業とする職人が生まれた。町の辻角や橋詰めに小店を構えて髪を結い髭をそった。その人数が増えてきたので制限する意味で監察を下付することにした。
 その後も社会の要求で職人は増え続け無鑑札の者が多くなった。


 後に社交場としての床屋(髪結床)が発展して、江戸落語や講談のネタを提供することになる。


 このような新しい社会の流れの中でもキリシタンの取り締まりは厳しく、諸大名に領内のキリシタンの禁断、違反者や結党者の速やかな殺害を示達した。
 6月には、天領に宗門改め役を新設した。キリシタン絶滅に向かっての寺請け証文と宗門人別帳がつくられ明治6年(1873年)まで続く。