yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 35  立ち上がる農民

 1637年 寛永14年丁牛(ひのとうし) 10月に島原の乱が起こる。農民・キリシタン信徒たちの抵抗は頑強で、年内に鎮圧できなかった。
幕府が直面した最初の試練で、農民の力の強靭さを身をもって知った。


 島原の乱のきっかけは「圧政と重税」であった。
 乱が勃発してからはキリスト教が一揆のよりどころとされて、歴史上日本最大規模の一揆となった。まさに内戦状態であった。


 この一揆の乱を招いた島原藩主の松倉家は領民の生活が成り立たないほどの過酷な年貢の取り立てが一揆の直接の原因となったため、その責任を問われ改易処分となり後に斬首となった。


 同じく天草を領有していた寺沢堅高も責任を問われ領地を没収された。後に寺沢堅高は精神異常をきたし自害し、寺沢家は断絶となった。


 農民の厳しい生活の一方、江戸の吉原では度々の禁制も守らず勝手な営業で荒稼ぎをしていた。
 例えば、湯女風呂の湯女は1軒に3人限りと定め、違反者は大門外で処刑とする。
 禁令は守られず江戸吉原大門内にある風呂屋の37人が磔の刑になった。


 農民一揆を支えたキリスト教の思想(キリシタン信徒の行動)があまりにも強かったので、島原の乱をきっかけに一層の鎖国体制とキリシタン禁教令を徹底させていった。


 すべての元凶は徳川幕府の一強独裁の政治にあることをかなりの日本人は知っていたが新しい体制をつくるまでには200年余りの歳月を必要とした。