yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 32  集団的自衛権の行使

 1634年 寛永11年甲戌(きのえいぬ)将軍家光の専制的支配は着々と進められていく。


 1月に日本三大仇討の一つである岡山藩士渡辺数馬が荒木又右衛門助太刀で弟の敵、同藩の河合又五郎を伊賀上野の鍵屋の辻で討つ。


 三大仇討は、曽我兄弟の仇討と赤穂義士の仇討が入る。


 敵討ちは集団内の者が殺されたときにその集団内の者が加害者に復讐することで家を守る。集団的自衛であった。
 私闘は原則禁止されていたが、主従の封建的倫理と武士道のめんから黙認というよりもどちらかというと奨励された。
 敵討ちというのは武士社会のしきたりであったが、次第に町民や農民にまで広がっていった。それには敵討ちと認められる手続きが必要であった。


 武士の敵討ちでもいろいろな条件があってその条件に合致して初めて敵討ちが成立する。個人で勝手にはできない仕組みである。


 助太刀は討手が幼少か女性の場合に親近なものが助力することができる。さらに敵討ちを実行しても返り討ちにあったり、追い打ちでねらわれたり、復敵(またかたき)となったりと大変であった。


 本音では敵討ちなどはしたくないのだが、武士の面目とお家の再興などのために敵討ちに追い込まれていく場合が多い。(封建社会の仕組み)


 封建的倫理の確立に厳しい一方で将軍は事あるごとに金や銀や米を町年寄りや町民に施与していた。
 現政権も意味もないのに「現金」を国民に配るバラマキ政治は、江戸の将軍の権力維持をまねしているのに過ぎないのか。政治の世界は進化していない江戸幕府を見るようだ。民主主義は死にかかっている。