yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば   31 高札(たかふだ・こうさつ)情報発信

 1633年 寛永10年癸酉(みずのととり)鎖国体制は着々と進む。2月には奉書船以外の海外渡航を禁止し、海外在住日本人の帰国を禁止した。
 国内を見ると黒田家の御家騒動や将軍の弟、忠長は高崎で自殺させられる事件が起こった。白岩一揆が起こり、藩主酒井家の苛政に抵抗し城を襲撃し家老を殺害した。


 幕藩体制を引き締める方法として、高札情報発信を活用する。


 高札=法度・掟・罪人の罪状などを記した立て札。場所は高札場といって一定していた。宿場や村名主の宅前、江戸では日本橋ほか六か所の大高札場と他に35個所の高札場を設置して情報の徹底と情報による民衆のコントロールを始めた。

 筑前黒田藩に起きた御家騒動=2代藩主黒田忠之は倉八十太夫を重用して専制を行い,幕府の諸侯取りつぶし策に口実を与える事件を続発させた。
筆頭家老栗山大膳は,失政を理由とした藩の取りつぶしを防ぐため,寛永9 (1632) 年,忠之に逆意がある旨を幕府に訴えたが,対決の結果忠之が勝ち,除封を免れ藩の危急を救い,栗山は南部藩 (→盛岡藩 ) へ預 (あずけ) ,倉は高野山へ追われた。

 家光の弟忠長の自殺=どうみても家光との相続争いに端をはしているようだ。春日局による家康への直訴により、家光の後継指名で決着。忠長は狂気とされているが、狂気の生活をするように追い込まれた向きがある。暗殺的自殺ではと思ってしまう。

 白岩一揆の結果=理由の如何を問はず、百姓代2名打ち首、国元でも百姓総代36名は死罪となり、百姓130人が捕らえられ磔になった。


 庶民の間では、湯女風呂が流行。圧政と対になって、性の解放を黙認しながら、権力維持を図る構図は今も昔も同じである。情報管理力は権力者の命取りになる。