yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば   30 将軍の遺産が動く

 1632年 寛永9年壬申(みずのえさる) 正月24日に2代将軍秀忠が没した。2月に遺産が家光とその一族・近臣に配分された。
 家光には金30万枚とその他330万両が相続された。秀忠が家康から譲り受けた遺産額は不明である。御三家と女中に配分された分は約200万両と言われている。
 そして、11月には家康の久能山の金銀が江戸に運ばれた。


 将軍の死に際して近侍の森川重俊が殉死をする。同じ近侍の永井信濃守尚政は殉死しないで剃髪をした。


 永井して人の譏り(そしり)やいやまさる出羽に越されてしなのわるさよ。という落首(落書き)があった。森川重俊は出羽守と称していた。


 江戸人は、殉死をそのように見ていたのであろう。


殉死=追腹といった。追腹には、義腹、論腹、商腹の三つがあった。
義腹は義つまり主君追慕の情からのもの。論腹は理によってなしたもの。名を求めた。商腹は子孫の利益を考えたもの。


 士というものは生きづらい時代であったようだ。最後の殉死者としては乃木 希典(のぎ まれすけ)陸軍大将の明治天皇の後を慕っての殉死が国際的にも著名である。


 江戸から明治、そして大正、昭和、平成と眺めていくと命に対する価値観、人権意識の変化が大きいようである。今問題になっている憲法改正の中心的な課題は「基本的人権」の生存権にかかわる問題をどう改正していくかである。