yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 26  絹紬と布木綿で差別

 1628年 寛永5年己辰(つちのとたつ)幕府権力は身分制度の固定化を図るために士の最下層と農の階層を差別するために、若党にあたる最下層の士には絹紬を農の階層には布木綿を着用するように規制した。
 幕府の方向はすぐに諸大名の支配にも取り入れられて日本全国に広がっていく。そしてあらゆる面で幕藩体制の政治・経済機構が形成されていった。
 徒士・若党・弓鉄砲のものの衣服は、絹紬はよいがそれより上品なものは禁止、しかし、主人より与えられたものは特別に許可。農民は布木綿、庄屋と農民の妻女は紬まではよいが、それより上品なものは禁止とする。


徒士(かち)=徒歩で行列の先導をつとめた侍、小身の侍。
若党=武士の従者で武家奉公人の最上位で、戦闘に参加したが馬に乗る資格がない軽輩を指す。
弓鉄砲=弓組や鉄砲組の歩卒。平時は雑役(ぞうやく)にあたった。弓鉄砲足軽ともいい、武士の最下位のくらい。雑兵(ぞうひょう)徒同心(かちどうしん)とも呼ばれた。


 きめ細かい差別を組織化して、全体の統制を図る一方では、相も変わ
らずキリシタン禁教令をだし、男性は死罪、女性は婢とし、家財を没収
した。
 藩士中の信徒代表のルイ甘糟右衛門尉信綱(あまかすうえもんのじょうのぶつな)に棄教を迫ったが、応じないので彼の一家奴婢を合わせて11人、他に信徒20人を斬首の刑にした。(奴は男、婢は女、召使の下男と下女で身分的には最下位。)


 日本人は宗教に対しては受け入れる心が大きいと思っていたが時の権力者は徹底的に弾圧をしてきたのを改めて認識した。現在はどうであろうか。新興宗教と政治権力の実態は。国民の意識は。