yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

教育の基本 40  さてと、道徳教育の教科書をどうするか

 教育基本法が変更され、合わせて「学校教育法」「地方教育行政法」「教職員免許法」「学習指導要領」「教科書検定制度」などの変更が終わった。


 教育の基本を変えようと戦後から活動してきた人たちの意志がかなりの点で実現できた。残るは教育に関しては教科書の中身をどう変えていくかというところまで来た。


 本当のねらいは「憲法改正」であるが、そこに行くまでの道筋として教育に手を入れて国の在り方の土台をつくる努力をしている。


 今年から教科となった「道徳」の教科書をどう作るかが最大の関心事である。


 今、道徳の教科書で、原作吉田甲子太郎(きねたろう)(1894-1957)の「星野君の二塁打」が話題になっている。


 監督の指示(バント)を無視して二塁打を打ちチームを勝利に導いた行動について、「監督の指示は絶対」「集団生活を乱さないことは個人の考えより重要」という価値観を指導するための教材として小学校高学年の道徳で取り上げられている。


 この教材を取り扱うについては原作を読み通していないと教科書では意図的にカットされた部分があること。また監督やトップの指示は絶対という価値観に結びつけるにはその置かれている状況を考えることに広げていかないといけない。


 監督やトップの指示が絶対である条件を提示しないと「集団生活と個人の関係」は定義されない。


 日大のアメフト監督の問題や森掛問題におけるトップと個人の問題などを丁寧に指導しないと「集団生活を乱さないことは個人の考えより重要」という価値観に結びつけることは難しい。



 教育の基本は道徳教育である。今年から道徳が教科として学校教育に位置づけられた。道徳教科書の中身やその指導方法については国民が目を見開いて学習し検証していくことが重要となる。



遊行ライフ 教育の基本

つぶやき 148 行方不明や思い違いで混乱しています

 ブログへの投稿作品が増えてきて、投稿したつもりが「下書き」のままであったり、投稿していなかったりと。いろはカルタ「ひ」が下書きのままで保管されていましたのでクリックしました。
 「教育の基本3」は探しても行方不明で見つかりません。


 私の資料を整理するために再投稿をします。
 ごめんなさい。「教育の基本3」は気に入っている文章です。


  教育の基本 3 そんな「前文」に惚れました


 改正前の教育基本法前文(昭和22年法律第25号)


 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


 何と素晴らしい文言ではないか。この文言で教師は生きがいを見つけ全力で教育活動に取り組んだ。


 平成18年に教育基本法が改正された。


 一番意気に感じていた「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」が、「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」に変わった。 「なぜだ。」


 教育の力は怖い。教育の力にまっていては大変なことが起こるかもしれない。権力の力で伝統を忘れずに思う方向に推進していくべきである。
「考えすぎですかね。」


 明治維新で江戸封建社会が崩壊して、これまでの身分制度が通用しなくなった。新しい身分制度を構築するべく、大日本帝国憲法と教育勅語がセットになって公布された。
教育勅語が国君を父とし、母として臣民がこれに続く国家組織をつくろうとしたのに対して、教育基本法は教育の力によって、「人格の完成をめざす」という基本的人権としての教育権を高らかにうたったことは人権宣言として素晴らしいことである。

 一つの法律だけをみても、なぜ改正したのかはわからない。次に続く法律の改正とつないで考察しなければ真意は分からないようにしくまれている。

いろはカルタ 「ひ」 江戸と上方

 貧乏ひまなし(江戸)

『貧乏なため生活に追われっぱなしで、少しの時間のゆとりもない。』


 暇を持て余す大金持ちと暇を持て余す貧乏人と大きく二つに分かれてしまった。
 暇がないほど働く仕事があればまあ幸せの方になる。暇がないほど働いても貧乏な暮らしを強いられるか、働く仕事がまったくなく暇で貧乏な暮らしをしているかのどちらかである。
 富裕層は有り余る金をどう有効に使うかで悩む。貧乏人は明日の飯をどう工面するかで悩む。同じ悩みでも質がまるで異なる。
 どうせ悩むなら金の使い方で悩んでみたいものだ。


  アベノミクスで  消費税あげて
  年金下げてネ   明日を待つ   ダンチョネ



 瓢箪から駒(上方)

【道理上あるはずのないこと。意外なところから意外なことがあらわれること。】


 ある研究機関に研究員として勤めるようになった時のことである。
 二人の大物課長が対立して、所構わず自分の意見を通してやりあい組織全体が動かなくなりかけていた。そのような職場から中央に執行委員を出さなければならない時期が来て大変なことになった。


 どちらの課長も自分の息のかかった部下を執行委員に送り出そうとして一歩も引かず結論が出ない。すったもんだと時間をかけた末に今年入った私に白羽の矢がたった。
 研究機関のことや執行委員のことなど全くわからない、どの派閥にも属していない自由人を担ぎ出して一応のけりがついた。


 執行委員を経験することの意味も後でわかったことであるが、その時は何も若い内の経験と思って気持ちよく引き受けた。この経験が後々の職歴として効果的に働いた。
 まさに、瓢箪から駒の体験であった。



つぶやき 147  日本は独立国家なのか

 沖縄県民は日本国民である。


 基地問題を見ている限り、日本は本当に独立国家なのかと疑問を持ってしまう。


 「本土」に対する言葉は「属国」である。


 日本国民の間に「本土」意識があれば沖縄は日本国家としての一員にならない。どうも、政治の世界では「沖縄」を区別か差別をして対応しているような気がしてならない。
 沖縄だけではない。日本のあらゆる周辺の地域はしわ寄せを一手に引き受けて生活を強いられている。東京にオスプレイを配備したというが周辺の地域へのしわ寄せである。


 政治は常に一部の地域や一部の人々に負担をかけて進行しているようである。
 その最たるものが沖縄県であり沖縄県民である。


 沖縄県知事選で玉城デニー氏が政府与党の押す佐喜眞淳氏に8万票の大差をつけて当選した。この国民の意志を安倍晋三首相は「政府として真摯に受け止める。」と述べたが、「沖縄のあるべき姿をどう考えているのか。」をまずはっきりとさせることである。
 そうしないと「沖縄振興と基地負担軽減に努める」というお金の問題にすり替えてしまうことになる。


 沖縄の問題はこれからの日本国家の進路を決定する最重要な問題である。アメリカを初めロシア、中国、北朝鮮等に対する外交姿勢の見せ所で基本的な問題である。


 沖縄の問題を日本国家の問題として解決していかない限り、ロシア・中国・北朝鮮との外交問題は成果を上げることは無理である。


 「沖縄のあるべき姿」が、これからの「日本国の姿」である。


 沖縄を知れば日本の政治が分る。沖縄から目が離せない。


http://www.ctb.ne.jp/~bonta108
  遊行ライフ

江戸川柳 色は匂へ  「さ」の4 采(賽) 5 西行 6 在五 7 才蔵

4 采(さい)


  采は所持したと島田でおっぱじめ   いずこも同じ退屈しのぎ。


  参考 采=さいころ 島田=東海道の一駅、大井川を隔てて金谷縮に対する。川止め
                にあった男の退屈しのぎは将棋・碁・博打とそんなところであった。


5 西 行


  とっぷりと暮れて西行沢を立ち     秋の日ははやい。さてと。


  参考 西行=俗名は佐藤義清(のりきよ)平安末の歌人。
     「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」
      定家・寂蓮の歌とともに「三夕」といわれている。


6 在 五(ざいご)


  ちっとおひろいあそばせと在五言い   姫、結構重いよ。


  参考 在五=在原家の五男の意味(在原業平)。阿保親王の第五子歌人で容姿端麗、
    放縦不羈、情熱的な和歌の名手、色好みの典型的な美男とされ伊勢物語の主人公
    と混同されている。
    おひろい=歩行の尊敬語。姫を背負って恋の逃避行を行った。芥川で「すこしば
    かり御歩きになっては‥と言って姫を背から降ろしたであろうと。想像した句。


  一度ぎりならしてやろうと在五言い   相当な美男ですね。


7 才 蔵(さいぞう)


  才蔵のほまれは嫁をころげさせ     笑う門に福を呼ぶ。


  参考 才蔵=三河万歳の脇役、大黒頭巾をかぶり鼓を叩く道化役。おかしな腰つきで
    下ネタで笑わせる。若い嫁などは顔を赤くして笑いころげる。それが才蔵の腕の
    見せ所。
      
     またぐらへ鼓をあてゝふざけ出し


     馬鹿ばかり言って鼓をたゝく也