yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

つぶやき 129  自 撰 めも句  その1 

「茎立ちて蒼茫の地に種落とす」の句を辞世の句と決めてから、なぜか俳句を創ることができなくなりました。
 それに合わせて、心のどこかで良い句を詠もうという意識が強くなったことと、季語に囚われることが嫌になり、思いや考えをノートにメモするだけになりました。


 自分勝手にそれを「めも句」としてまとめてみました。


煩悩を削ぎ落として骨だけになります
   (骨の中はきっと煩悩でいっぱいだろう。)


心が動かない花曇り
   (何も考えていないということはない。)


ただ座っていると言葉も心も無くなってしまう
   (無くなってしまうとどうなる。無くなるような気がするだけか。)


支離滅裂のほうが人生豊かに見える
   (あいつは幸せだよ。うらやましい。)


大した役割もないのに責任感だけは持っている
   (責任感を身につけたばかりに一生背負うことになる。)


迷うほどのものもないのに悩んでしまう
   (悩むから迷うのかもしれない。)



江戸を見れば 112  奥女中江島事件断罪の背景は

 1714年正徳4年甲午(きのえうま) 奥女中江島(えじま)・生島の恋愛沙汰による断罪の背景は単なる密通問題ではない。


 将軍家継を擁立して、権勢を振るう月光院や側用人間部詮房(まなべあきふさ)や新井白石に対する譜代大名・旗本や6代将軍家宣の正室天英院らの反感があったといわれている。


参考 江島は6代将軍家宣の生母、月光院の側室左京の局(さきょうのつぼね)に仕えた大年寄(大奥女中の総頭で老中に匹敵する地位)


 江島が月光院の名代(みょうだい)で上野の寛永寺および芝の増上寺に参詣した折、木挽町(こびきちょう)の芝居小屋山村座に遊び帰城が夕暮れに及んだことが事件の発端になった。


 評定所の判決の結果、江島は死一等を減じられ、遠流(おんる)となった。


 罪状は、その身は重職にありながら、御使、宿下(やどさがり)のときにゆかりもない家に2晩も宿泊したこと、誰彼(だれかれ)となくみだりに人を近づけたこと、芝居小屋に通い役者(生島新五郎)となれ親しんだこと、遊女屋に遊んだこと、しかも他の女中たちをその遊興に伴ったことなどである。


 相手の生島は三宅(みやけ)島に流罪、絵島の兄の白井勝昌(かつまさ)は死罪に処せられた。そのほか多数の連座する者が刑罰を受けた。


 出入り商人の連座者が多いことから、江島事件断罪の本当のねらいは大奥と出入り商人をめぐる利権争いによる贈収賄事件としてとらえられている。


 江島は27年間の囲い屋敷での生活を過ごし、1741年(寛保1)に61歳の生涯を閉じた。生島はその翌年に赦されて江戸に帰った。
 
 少しのことに言いがかりをつけて、相手を消していく手法は古今東西に共通する権力者のやり方である。



http://www.ctb.ne.jp/~bonta108  遊行ライフ十人十色



つぶやき 128  ロシアW杯・テレビ観戦

 久しぶりにサッカーの試合をテレビ観戦した。もともとサッカーよりも野球や相撲の方が好きで、その他のスポーツは大きな国際大会ぐらいしか見ていない。
しかし、昨日の「日本対コロンビア」「ポーランド対セネガル」の試合は面白かった。何が面白かったのかというとそのお国柄の反則プレーの仕方とパーマンス。
 中でも堂々のレッドカードで退場したコロンビアの反則とそのパホーマンスは見ごたえがあった。


 初めのうちは腹立たしい思いで見ていたのだがだんだんとコロンビアチームはこれまであれで勝ち抜いてきたのだとその国の国柄として見るようになった。


 日本チームは、やむを得ず試合の流れの中での反則プレーで爽やかであった。日本人も当たり負けしない体力ができたなあと頼もしく思った。


 ポーランドチームは、反則はするのだがすぐに両手を広げて「反則、やっていませんよー。」と審判にアピールする。何となく詐欺的な行為でまあ許せるかとも思ってしまう。
 セネガルチームは、体力にまかせて直線的に走りまくっているようにおもえた。


 日本チームはすばらしい。


 それに比べて、日本政府はどうであろう。


 レッドカードで退場する大臣も出ているし、改竄、隠ぺいとコロンビアほどの格闘技的な反則ではないが、ポーランド的な「反則、やっていませんよー。」と、少し控えめではあるが反則を繰り返す。


 国際社会で戦うには、日本チームのように当たり負けしない体力づくりは欠かせない。どうなんでしょう。アメリカ、北朝鮮、中国、ロシアと日本政府が競い合うときは、体力づくりだけでは戦えないような気もするが。


 相手は一筋縄ではいかない国ばかりですよ。さて、政治家の皆さん、そして国民の皆さんどうしたものですかねえ。



http://www.ctb.ne.jp/~bonta108
  遊行ライフ 十人十色の人生は

江戸川柳 色は匂へ  「い・ゐ」の5 石打 6 石山 7 以上 

5 石打(いしうち)


石打の先達にくるまたいとこ    石でも投げ込まないでいらりょうか。


 参考 石打=婚礼の夜、近隣の青年たちがその家に石を投げ石習慣。地を打ち固める意
    味の習俗。
    先達=リーダー、ここではまた従兄弟がリーダー。


腹のたつ顔もまじって水あびせ    恋敵か水のかけかたが違うで。


    習俗にことよせて自分の思いをぶちまけあきらめる。そんな意味も含む行事で
    あったのでは。


6 石山(いしやま)


石山で所化衆(しょけしゅう)そのころそわそわし
       この気分。どうしたことだ。これが修行か。色即是空、花ざかり。


 参考 石山=近江の石山寺。紫式部が源氏物語を書き始めたところ。  所化=修行中
    の僧。
    美しい妻女が逗留していては修行中の若い僧にとっては煩悩で体がはちきれそう
    になることだろう。


大こくのやうに紫式部見へ    修行が足りないぞ。修行積んでからだ。


 参考 大黒=大黒天の略。大黒天が厨(くりや)に祀られたことから、僧侶の妻の俗
    称。


堅い寺見たてて式部借りるなり   石山だからさぞお堅いだろう。安心。


7 以上(いじょう)


師匠さまかしこと以上別に置き   男女7歳にしてだよね。


 参考 かしこ=女性の手紙の結びに書く語。以上=男性の手紙の結びに書く語。当時の
    塾は手習い師匠が児童を男女別に座らせて、手紙の書き方なども教材として指導
    していた。



http://www.ctb.ne.jp/~bonta108 遊行ライフ十人十色




江戸を見れば 111  役人の不正が横行

 1713年正徳3年癸巳(みずのとみ) 勘定奉行荻原重秀の失脚後10月14日に将軍家宣が没した。
 家宣は、風邪をひき10月14日死亡、51歳。家宣の遺体は20日に増上寺に移され、11月2日葬儀が行なわれた。


 5歳の家継が第7代将軍の座についた。家継は短命で1716年に7歳で亡くなられた。


 将軍の短命と天災・人災が連続して生活不安も増大した。そのような状況の中、日本全国で代官配下による不正が横行した。


 側用人間部詮房(まなべあきふさ)は、事務的能力には優れていたが政策能力や政治的手腕に欠けていたために新井君美(きみよし・白石)が改革の提言や実行に取り組んでいた。


 中でも年貢の額を決定する役人の不正は目に余るものがあった。


 検見法(けみほう・毛見法)といって、米の収穫前に幕府・藩庁から役人を派遣して、毛(け、稲穂のこと)の実り具合を検査してその年の年貢の額を決めた。


 年貢、税金の決定にあたっての改竄、隠ぺいによる政府役人の不正が全国に及んだため、幕府は過去数年間の収穫量を平均して一定の年貢額を決める定免(じょうめん)法に切り替えることを検討し、1727年、享保12年より実施されることになった。


 新しい改革一つのために14年ほどの年月がかかった。改革は遅々として進まないのに庶民の生活の変化は大きくかわっていく。政治が追いつかない。一部の人のための政治が続いていく。



http://www.ctb.ne.jp/~bonta108
 遊行ライフ十人十色