yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸川柳 色は匂へ  「ゆ」の4 結納 5 夕顔 6 遊女 7 行平

4 結 納


  結納はしまっておいた心持    大切にお願いします。


  参考 結納を取り交わしたからと言って当人同士は自由に付き合えるわけではない。
             契約をしただけで親元で確かに預かってもらうということ。


  急な駆落結納とすり違い     親不孝、お許しください。


  参考 親の決めた契約に不満がある場合の抵抗。昭和の時代までその名残があった。
    中条きよしの「ダンチョネ子守歌」はよくその心情をとらえている。


    連れて逃げれば ろくでなし  捨てて旅立ちゃ 人でなし
    ふたり死んでも花はなし    思い切る気は さらになし
    ああ どのみち 男の人生は  絵にはならないヨーホホイ
    ダンチョネ子守歌


5 夕 顔


  夕顔の夜露でててら二布ぬれ    ひんやりといい気持ち


  参考 ててら=ふんどし 二布=ふたの、女の湯もじ(腰巻)
     庶民の夕涼みのひと時、日よけと実益を兼ねた夕顔棚の下、縁台で夕涼み。楽
    しみの一日の終わり。


6 遊 女


  傾城は三人あとは遊女なり     城取るか女を取るか。勿論・・・


  参考 城や国を傾けた楊貴妃やクレオパトラのような遊女を傾城といった。そんな美
    女が三人いたと。一人は仙台候伊達綱宗の高尾(3代目)と尾張候徳川宗春の春
    日野、それに姫路から越後高田に移された榊原式部大輔の10代目の高尾。


7 行 平(ゆきひら)


  行平の噂はたった二人なり     二人いれば十分だよ。


  参考 行平=在原中納言。業平の兄。行平は帝の勘気に触れ須磨に閉居させられた。
    そこで行平は汐汲みの乙女、松風と村雨の姉妹を愛した。それ以外の女性に関す
    る情報はなかった。
     一方、弟の業平は手当たり次第の女性との情報で満杯であった。



遊行ライフ 教育の基本



つぶやき 149 叩いたら叩き返せと祖母達者  山崎初栄

 この句に出会った時、母方の祖母を思い出した。かくしゃくとした祖母は生き方の手本であった。


 天気が良いので座布団のカバーを外して屋根に干した。
 取り入れる時、座布団を叩けば出るわ出るわ埃ほこり。冬用のカバーを取り付けて冬の準備を済ませた。
 人も叩けば、どんな人もそれなりに埃が出る。埃だらけの人とほんの少しだけの人との差はあるが。


 政治の世界では叩かれたら叩き返すのが常套である。


 叩かれたあと、タイミングを見て叩かれた内容の同質と同量の内容で叩くのが効果的である。
 例えば、「政治資金規正法違反」で叩かれたときは、「政治資金規正法違反」で叩き返す。この場合後出しの方が効果的である。この適時打を忘れずに打ち続けることが政権与党の宿命である。
 政権与党はいつでも適時打を打てる準備をしている。背広を着た現代の隠密が日本全国津々浦々に潜んでいる。叩く情報には事欠かない。


 一杯飲んで、風呂に入ってつぶやくように歌った。


 かいざん いんぺい 口利き 謝礼
 けんきん つうちょう 政治の匂い
 ステーキ お酒に  男の笑い
 あの人は、言って言って ました
 あの人も、言って言って ました
 もう 始まりね


国民の叩き返す術は、選挙での一票とネットを活用した情報活動か。
長湯をすると高齢者にはよくない。早々に出て横になった。おやすみなさい。


http://www.ctb.ne.jp/~bonta108  教育の基本


江戸川柳 色は匂へ 「き」の4 起請 5 木蔵 6 北 8 帰朝

4 起 請(きしょう) 起請文の略


  起請とははだかにしょうと言ふ事か    裸は覚悟の上


  参考 起請=熊野牛王の誓紙と言う愛情を誓うための用紙。これを買って遊女と客が
    取り交わす習慣がある。きしょうは、着セヨウと音が同じで、着しょうではなく
    裸にされるのがおち。
     また、起請誓紙には鳥が沢山印刷してあり、取り交わすたびに熊野の烏が一羽
    死ぬといわれていた。


  熊野では今日も落ちたと埋めてやり    男の末路、ダンチョネ


  起請など貰ってむす子のりが来る     貧富の格差を縮めるぞ
  
5 木 蔵(きぞう)


  ひっぱいで起す娘は木ぞう也       何も考えない時がいい 


  参考 きぞう=まだ色気の付かないこと。男を起こす起こし方で女の年齢や生活が透
                 けて見える。


  つむりからまくる朝寝は女なり      寝ているのは女


  逃げ道をあけてきぞうをくどいてる    寝ているのは図図しい男
  
6 北


  おやじまだ西より北へ行く気なり     元気でけっこうけだらけ


  参考 北=吉原の異称、北里・北国とも言う。西は西方十万億土あの
     世。隠居したおやじも西より北へ足が向く。


7 吉 日(きちにち)


  吉日にいけすの鯛のさいごなり      手を合わせて寿を祝おう


  参考 吉日=よい日がら。鯛は祝い事に欠かせぬ魚。


8 帰 朝(きちょう)


  帰朝した船人うそはつき次第       現代も同じ、嘘が多い


  参考 漂流してロシアに着き10年滞在した伊勢の大黒屋幸太夫は多くの情報をもた
    らした。幕府は一般国民に知らせまいとして幸太夫は一生軟禁され1828年に死
    んだ。


  四五日は帰朝の口にまめができ      あることないことよくしゃべるわ


教育の基本 40  さてと、道徳教育の教科書をどうするか

 教育基本法が変更され、合わせて「学校教育法」「地方教育行政法」「教職員免許法」「学習指導要領」「教科書検定制度」などの変更が終わった。


 教育の基本を変えようと戦後から活動してきた人たちの意志がかなりの点で実現できた。残るは教育に関しては教科書の中身をどう変えていくかというところまで来た。


 本当のねらいは「憲法改正」であるが、そこに行くまでの道筋として教育に手を入れて国の在り方の土台をつくる努力をしている。


 今年から教科となった「道徳」の教科書をどう作るかが最大の関心事である。


 今、道徳の教科書で、原作吉田甲子太郎(きねたろう)(1894-1957)の「星野君の二塁打」が話題になっている。


 監督の指示(バント)を無視して二塁打を打ちチームを勝利に導いた行動について、「監督の指示は絶対」「集団生活を乱さないことは個人の考えより重要」という価値観を指導するための教材として小学校高学年の道徳で取り上げられている。


 この教材を取り扱うについては原作を読み通していないと教科書では意図的にカットされた部分があること。また監督やトップの指示は絶対という価値観に結びつけるにはその置かれている状況を考えることに広げていかないといけない。


 監督やトップの指示が絶対である条件を提示しないと「集団生活と個人の関係」は定義されない。


 日大のアメフト監督の問題や森掛問題におけるトップと個人の問題などを丁寧に指導しないと「集団生活を乱さないことは個人の考えより重要」という価値観に結びつけることは難しい。



 教育の基本は道徳教育である。今年から道徳が教科として学校教育に位置づけられた。道徳教科書の中身やその指導方法については国民が目を見開いて学習し検証していくことが重要となる。



遊行ライフ 教育の基本

つぶやき 148 行方不明や思い違いで混乱しています

 ブログへの投稿作品が増えてきて、投稿したつもりが「下書き」のままであったり、投稿していなかったりと。いろはカルタ「ひ」が下書きのままで保管されていましたのでクリックしました。
 「教育の基本3」は探しても行方不明で見つかりません。


 私の資料を整理するために再投稿をします。
 ごめんなさい。「教育の基本3」は気に入っている文章です。


  教育の基本 3 そんな「前文」に惚れました


 改正前の教育基本法前文(昭和22年法律第25号)


 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


 何と素晴らしい文言ではないか。この文言で教師は生きがいを見つけ全力で教育活動に取り組んだ。


 平成18年に教育基本法が改正された。


 一番意気に感じていた「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」が、「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」に変わった。 「なぜだ。」


 教育の力は怖い。教育の力にまっていては大変なことが起こるかもしれない。権力の力で伝統を忘れずに思う方向に推進していくべきである。
「考えすぎですかね。」


 明治維新で江戸封建社会が崩壊して、これまでの身分制度が通用しなくなった。新しい身分制度を構築するべく、大日本帝国憲法と教育勅語がセットになって公布された。
教育勅語が国君を父とし、母として臣民がこれに続く国家組織をつくろうとしたのに対して、教育基本法は教育の力によって、「人格の完成をめざす」という基本的人権としての教育権を高らかにうたったことは人権宣言として素晴らしいことである。

 一つの法律だけをみても、なぜ改正したのかはわからない。次に続く法律の改正とつないで考察しなければ真意は分からないようにしくまれている。