yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

つぶやき 141  医療制度は誰のためのもの

 妻の入院をきっかけに医療制度について考えさせられることが多くあった。


 入院患者は、2か月を限度に他の病院へ転院しなければならない。無事退院して訪問診療を受けても採血をはじめ尿の採集、注射、薬は患者本人が病院の窓口に行って受付をしなければ何一つできないことになっている。


 患者をぐるぐると病院巡りをさせるのは何のため、薬一つもらうのに介護タクシーを利用しなければならないのは何のため。


 これって、患者のためを思っての医療制度ですか。


 大きな病院や有名な病院へ一極集中させない。介護タクシーや介護施設を使って医療費や介護費をできるだけ多くの病院や施設や薬局に金が回るようにする。


 そんな風に考えてしまう。


 本当のところは何ですか。現国会議員の方で説明できる人がいたら正確な情報を提供してください。
 今の医療制度は誰のためのものか。提供してくれた議員さんやその所属する政党に次の選挙で一票を投じたい。


 このような情報提供ができない議員さん。そんな議員さんは無駄の代表です。議員定数を思い切って減らすこと。


 今の医療制度は誰のためのものか。本当のことを知りたい。医療にかかわる族議員の名前も公開して欲しい。


 より具体的な情報を提供する政党を支持したい。そんな政党にならなければ、万年野党で終わりですね。   野党よ頑張れ。

つぶやき 140  100回記念の甲子園大会

 久しぶりに旧友と居酒屋でばったり。


「近頃、珍しく甲子園が面白かったなあ。」
「金足農高が頑張ったからじゃなあ。」
「公立学校でしかもチームの全員が県内出身の子どもちゅうじゃあねえかえ。」


「昭和の20年から30年はそれが当たり前で、母校が甲子園に出場した時は県内どころか市内のそれも同じ中学校の同級生がいっぱいおったけんなあ。」
「そうじゃ。そうじゃ。もりあがった。」


「この頃は県代表と言っても県内出身の子どもはほとんどおらんで。じゃけん、寄付も集まらんらし。中にはスポーツ奨励金という名の補助金をカットすべきじゃという人も出て来た。」


「県代表という考えを統一せんといけんなあ。例えば、チームの半数は県内出身者とか。県内にある高等学校の代表とか。」
「無理じゃ。無理じゃ。ここまで来たらもう好きなようにほっとかんと。そんうちに自然と適当なところに落ち着くじゃろう。」


 いつの時代から高校野球が変質していったのであろうか。プロ志向が強くなって親も子もそして野球関係者も経済優先になって本来のスポーツの在り方が見失われたのであろう。


「今日は久しぶりに美味しい酒を飲んだ。また時々ここいきち一杯やろうえ。」
「また、一杯飲みながら盛り上がろう。今日はたのしかったで。」


 気心の知れた居酒屋で美味い酒と肴で好き勝手にしゃべるのは健康にこの上なくよい。
 居酒屋の常連になるぞ。

つぶやき 139  自力と他力は裏表

 神や仏に手を合わせて祈る生活がなかった私に対して、妻の一家は信仰習慣の強い環境であった。
 特に義母の信仰心は明るくてユーモアさえ感じさせるユニークな信仰態度であった。
 そんな影響のもと、妻の信仰態度は自然と身ついた生活であった。妻は父の几帳面さを確りと受け止めて義母のゆとりあるユーモアさえ感じさせる信仰態度ではなく、まじめな几帳面な信仰態度である。


 そんな妻と50年以上暮らしていると私もいつの間にか神仏に手を合わせる習慣が身についた。
 私は柏手を打ち手を合わせながら「今日も一日、頑張ります。」と自分の意志表示をする。
 妻は、一人一人家族の名前を言いながら、「何事も起こらないで今日一日無事に過ごさせてください。」と神に祈る。


 私は自分の意志を前面に出し自力の生き方を宣言する。しかし、宣言しながら、今日一日頑張る力を与えてくださいと願っている。


 妻は「無事に過ごさせてください。」と、頼みながら、そのあと「さて、今日も一日頑張るか。」と、つぶやいている。


 結局は、自力を前面に出しながら、その自力は他力の支えを願い、他力を前面に出していてもその他力を自力で乗り越えようとしている。
 自力や他力と言っても自力が表に出たときは裏で他力が支え、他力が表に出たときには裏で自力がそれを支える。


 自力本願、他力本願はコインの裏表で表裏一体となって人の生き方を支えている。
 ただどちらが表に出るかの違いだけである。


 これからも、自力本願を表に出して生きていこう。妻の他力本願的生き方も裏を見れば自力本願の生き方である。


 自力、他力を区別することなく一つの生き方の裏表と理解して生活していくことにしよう。

自 撰 めも句  その6

 黄揚羽生きていたのか四十度
   (暑さにつよいんだね。)


 あじさいよ傘寿の色に変わりおり
   (ミス着物も海の女王もみんなそれなりの色に変わる。)


 どこもここも空き家となり夏終わる
   (ゆく河の流れです。寂しい散歩道。)


 殺虫剤まいて彼岸の墓参り
   (蚊に弱いものですから、ごめんなさい。)


 ポロリとこぼれる命の夜寒かな
   (思わぬ時に思いもかけない人がこぼれていく。)




つぶやき 138 「考えること・思うこと」をやめることはできるのか。

 それはできない。
   しかし、考えても思ってもどうしようもない「考え・思い」を少なくしていくことはできる。
 最晩年の遊行ライフに入ってどうしようもない考えや思いを避ける手段を身につけた。


 お釈迦さまにせよ、芭蕉にせよ。彼らにとっての旅がそれであったのではないかと思う。旅という行動がどうすることもできない「考え・思い」を遠ざけてくれる。


 今、私は旅に出ることができない。


 その中で「行動」に結びつく「考えや思い」を生活の核にすることにした。考えや思いの前にすぐに行動を起こすことが健康によいようである。
 中でも「食事」と「介護」は行動が一番。
 行動を起こしながら考えや思いを巡らす。明日の献立を考えたり、母の手料理をおもいだしたりと。
 行動に結びつかない「考え・思い」はストレスばかりがたまって健康によくない。


 材料を仕込み調理し、後片付けをする。水をあたり、包丁や調理器具で指先を使う。介護でベットから車いすに移動させる。思わぬ筋力がつきそれが自分のリハビリや筋力トレーニングになっていることに驚く。


 何もかも妻にまかせて生活していた時よりも今の方がずっと健康的である。


 体調がとても良い。


 消化器系に問題があったのが解消して、ビールを飲んでも酒をのんでも下痢一つしなくなった。考えられないことである。


 体がよく動き、頭の回転も心配はない。年齢より10歳は若く見られる。


 私の健康法として「考えること・思うこと」を少なくして、ただ行動を起こすことを第一として一日を過ごそう。


 さてと、今夜の夕食の準備に取り掛かるとしよう。