yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば80   芭蕉39歳  芭蕉庵類焼

 1682年天和2年壬戌(みずのえいぬ)3月に西山宗因(78歳)没、9月に井原西鶴が「好色一代男」を刊行する。西鶴41歳の処女作で「愛欲」をテーマに愛欲と開放と自由を追求する作品を立て続けに発表し浮世草子の作者としての地位を固める。


 浮世草子は小説の一種で約80年間上方を中心に行われた町人文学である。
 この年の江戸の大火が後の「八百屋お七」の好色五人女の材料となる。

 芭蕉の俳諧と紀行文。それに井原西鶴の小説を絡ませて蕉風俳諧の理念「不易流行」「わび」「さび」「しをり」「細み」「軽み」などに迫りたい。


 男の更年期は35・6歳から訪れるようである。宗匠を引退し、公共事業を投げ捨てて、辺鄙な深川の草庵暮らし。心身ともに大きな変化がこの辺りから芭蕉に取り付いていったようである。


 芭蕉39歳の句、3句紹介。


椹(クワノミ)や花なき蝶(てふ)の世すて酒     芭  蕉
 くわのみの果汁を吸う蝶よ。花に恵まれぬ蝶の世を捨てて侘しくすする世捨て酒であろうか。


あさがほに我は飯くふおとこ哉            芭  蕉
 早寝早起きをして朝顔に対してしずかに飯を食う我だよ。


夜着(よぎ)は重し呉天(ごてん)に雪を見るあらん  芭  蕉
 夜着は重い。呉天(遠い山間地方)はきっと雪が降っていることであろう。



 タニシの一生にそんなドラマがあったとは知らなかった。




江戸を見れば79  芭蕉38歳 側用人の政治介入の始まり

 1681年延宝9年辛酉(かのととり)天和元年(9月29日)5代将軍綱吉は30代の壮年で文治政策の支持者であった。12月に彼の擁立に功のあった老中堀田正俊を大老に、側衆牧野成貞を側用人として政治の世界に起用。側用人は老中の次席で近習出頭ともいい将軍と老中の連絡係であった。
 牧野成貞の禄高はわずか2000石であったのが側用人就任後は下総関宿7万3千石の大名となる。


 37歳で宗匠の生活から引退し、深川の草庵に移り住む。門人の李下より芭蕉の株を贈られ、これが繁茂してやがて草庵を芭蕉庵と号するようになる。このころから俳号「芭蕉」が現れる。

 38歳の句、3句紹介


侘テすめ月侘斎(つきわびさい)がなら茶哥(うた)   芭  蕉

 侘しさに徹するが良い。月侘斎(芭蕉)は酒ならぬ奈良茶飯をくらって吟ずる。覚悟して深川の草庵に入ったがストレスが大きいようだ。


芭蕉野分(のわき)して盥(たらひ)に雨を聞夜哉   芭  蕉

 吹きすさぶ野分の中、草庵の闇に芭蕉の葉音、じっと耐えていると盥に響く雨漏りの音がひとしお身にしみいる。


櫓の声波ヲうつて腸(はらわた)氷ル夜やなみだ    芭  蕉

 夜の江上にさえる櫓の音、寒々とした波の音に耳を傾け、草庵の侘びを耐えていると腹の底まで凍てつく思いがして不覚にも涙した。


 貧窮と孤独に耐え、身をもって実感した感情や感覚の中から「侘び」の本質に迫る第一歩が始まった。「侘び」は人生そのものである。生きることの奥の方を流れる「侘び」を体験して覚。「軽み」から「侘び」へ。



江戸を見れば78  芭蕉37歳 4代将軍家綱没

 1680年延宝8年庚申(かのえさる)5月8日に家綱が40歳で病没。一人権力をほしいままにしていた大老酒井忠清は5代将軍に京から有栖川宮幸仁親王を迎えようとした。
 しかし、水戸藩主徳川光圀や堀田正俊の反対にあい実現しなかった。予定通りに弟の舘林藩主綱吉(30代の壮年)が第5代将軍についた。
 この年を最後に大老として22年間権力の座にいた酒井忠清は隠居させられて、忠清の独裁に終止符が打たれた。


 芭蕉は4年かけて小石川の水道を完成させて、そのような功績を捨て深川芭蕉庵に入り出家する。なぜ公共事業という安定した仕事を捨ててまで辺鄙な深川へ転居したのであろうか。それなりに深い理由があったのではなかろうか。この辺りについては理解に苦しむところである。


37歳の句、3句紹介


枯枝に烏のとまりたるや秋の暮        桃  青(東日記)
かれ朶(えだ)に烏のとまりけり秋の暮    芭  蕉(曠野)


参考、東日記は延宝9年(1681年)刊。曠野(あらの)は元禄11年(1689年)刊。桃青から芭蕉になっての変化、推敲の後をみるのも参考になる。


雪の朝独リ干鮭(からざけ)を噛(カミ)得タリ   桃   青

 孤独に耐え貧に甘んじる草庵生活を噛みしめている。何故だ。


石枯(かれ)て水しぼめるや冬もなし        桃   青

 万物ことごとく凋落していくことの自覚が出家して草庵生活に入った一番の決意かも。覚悟だ。


 芭蕉の遊行ライフの始まりは草庵生活からであろう。



江戸川柳 色は匂へ  「む」の2 娘

一反で足らぬと娘はじしめる     今も昔もスリムがいいんだ

売れかねて鴨居に近き娘あり     バレーもバスケも無かったからね

いい娘母も惚れ手の数に入り     一番の惚れ手は母さんだよ

藪入は母のじまんをうるさがり    母さんの宝だもん

知った方へはあげられぬ娘なり    知らない方へ押し付けよう




江戸川柳 色は匂へ  「な」の2 仲人

仲人の夫婦わらいが上手なり       1割は懐に入るぞ


 参考、持参金付きの世話をすれば1割のピンはねが相場であった。


仲人の女房同じく小ざかしく       女房も嘘3百はついとるぜ

しゅうとはじきに死ぬように仲人言ひ   なかなか

仲人はまあなぐさみに見ろと言ひ     無責任な

仲人が來るとかくれる不心得       いい人がいるのよ