yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

花かるた 色は匂へ 「や」の2 灸花(やいとばな)夏

   湖の蘆にからまり灸花   松本朱花


   
       季節の花300より


       季節の花300より


   花言葉は人嫌い、誤解を解きたい、意外性のある。

灸(やいと)とは”おきゅう”のこと。花の内側の茶色い部分を、お灸をした跡に見立てたことから。

別名、屁糞蔓 (へくそかずら)馬食わず(うまくわず))すごい名前だが、枝や葉をもむと悪臭があるからこの名前になったとのこと。匂いのため、この植物を食べる虫はほとんどいないらしい。

秋に、茶色いパチンコ玉のような丸い実をつける。昔は実の汁を、しもやけやあかぎれに塗っていた。

花名の由来属名の学名「Paederia(パエデリア)」は、ラテン語の「paidor(悪臭)」を語源とし、葉や茎に悪臭があることに由来します。

和名の「屁糞葛(ヘクソカズラ)」も葉や茎をもむと悪臭があることにちなみます。

「灸花(ヤイトバナ)」は、花の中心にある紅紫色の部分がお灸のあとに似ていることに、「早乙女花(サオトメバナ)」は、花を水に浮かべた姿が早乙女(田植えをする娘)のかぶる笠に似ていることにちなみます。

英語でもその臭いから「Skunkvine(スカンクのつる草)」や「Stinkvine(悪臭を放つつる草)」と呼ばれています。

花言葉の由来、花言葉の「人嫌い」は、悪臭を放ち人を寄せつけないようにしていることにちなむといわれます。一方で、筒形の愛らしい花をつけることから「誤解を解きたい」「意外性のある」の花言葉もあります。


「遊行ライフ」というタイトルでホームページをつくりました。80歳からの生活の整理です。覗いてみてください。
                                         http://www.ctb.ne.jp/~bonta108/index.html



つぶやき 90 社会党の村山富市首相をどう評価するか

 1964年(平成6年)自民党・社会党・新党さきがけの3党連立による村山社会党党首が第81代内閣総理大臣に就任した。
 驚きましたね。何でもありだ。さらに驚いたことは、自衛隊合憲・日米安保堅持・非武装中立の役割終了を宣言したことである。


 同じ大分県人として、社会党の村山富市氏を全面的に支持し応援してきた私としてはこのことをどう判断すべきか迷ってしまった。23年過ぎた現在もいまだにどう評価すべきか迷っている。


 これをきっかけに社会党は支持者を失い衰退への道をたどっている。


「日本も空想的平和主義を脱却した。」と、評価している人達と「戦争への道を容認した。」と、評価している人達がいる。


 あれから23年過ぎて、安倍内閣の現状を見る時「日本も空想的平和主義を脱却した。」という評価も「戦争への道を容認した。」という評価もその通りの結果が出ている。


 もうぼつぼつ「社会党党首の連立政権について。」プロと言われる学者や政治評論家の意見を聞きたいものである。


 大分県人として、社会党党首の内閣総理大臣を正しく評価し、大分県人の誇りにしたいのだが。「あれでよかったのか。」という疑念が残る。
皆さんの意見もお聞きしたいものである。


 私が残念に思うのは社会党の衰退へのきっかけをつくった社会党党首、何かきめ細かい配慮と戦術があってもよかったのではないかと考えてしまう。


つぶやき 89  過労死予備軍と労働基準法

 労働基準法という法律があることを忘れてしまった。時の政府が適当に少しずつ変更して過労死を容認する法律に変容させていった。
 過労死の問題を考える時は法律をつくった国会の責任が第一である。過労死に対しては過労死を容認するような法律をつくった政治集団を問題にしなければならない。


「働き方改革」などと言って、あって無きが如き労働基準法にしてしまったのは誰だ。


 政治家は大多数がどこかの組織の代表である。
 農協(JA)代表、医師会代表、電気事業連絡会代表、経団連代表、公務員関係労組代表、日教組代表などなどとどこかの組織の代表でなければ国政に参加することは無理である。


 市民・国民の一部の代表しかいない日本の政治システムである。
 組織の利益代表か地域の利益代表である。
 強い組織の言いなりになって強い組織の都合のよい法律をつくってしまう。
 個人で国政に参加することは不可能である。新しい政治システム、例えば参議院を個の考えが反映するように変えることも無理な話である。


 今の政治の在り方を変えるには「無党派層」の一票に頼るほかはない。無党派層が有権者の6割を占めて、無党派層によって政治の在り方を変えることに期待する以外に手はない。


 ほとんどザル法になってしまった労働基準法を見直さない限り過労死は減らない。死に体になっている憲法を生き返らせ、労働基準法に力を与えることが政治家の役割である。無党派層よ、頑張ろう。


花かるた 色は匂へ 「く」の4 葛の花(くずのはな)秋

   雨晴や煙のこもる葛の花    嵐  竹


   

      季節の花300より


   限りなく流るゝ雲や葛の花   市川東子房

   

          季節の花300より


松倉嵐竹(まつくららんちく)(生年不祥)本名松倉文左衛門。嵐蘭の弟。

松倉嵐蘭 (まつくら-らんらん)1647-1693 江戸時代前期の俳人。
正保(しょうほ)4年生まれ。肥前島原藩(長崎県)藩主松倉氏の支族。はじめ板倉家につかえ,辞して江戸にすみ,松尾芭蕉(ばしょう)に師事して「桃青門弟独吟二十歌仙」に名をつらねた。元禄(げんろく)6年8月27日死去。47歳。名は盛教。通称は甚兵衛。


 秋の七草の一つ。 まわりの木々をつるでおおってしまう程の生命力。ひと夏で10mぐらい生長する。花は下の方から咲いていく。

 大和の国(奈良県)の国栖(くず)というところが葛粉の産地であったところからの命名。漢字の「葛」は漢名から。つるの繊維部分は「葛布(くずふ)」の原料。(静岡県掛川市特産)

 根には多量のでんぷんを含んでいて、「葛根(かっこん、解熱の漢方薬)」になる。葛粉(くずこ)もとれる。 → 葛餅(くずもち)

 別名「裏見草(うらみぐさ)



江戸を見れば 44  凧あげ禁止

 1646年 正保3年丙戌(ひのえいぬ) 西鶴5歳、芭蕉3歳、西鶴は本名を平山藤五、大坂・難波の裕福な町人の出と言われているが推測の域を出ない。


 芭蕉は幼名を金作、通称を甚七郎、甚四郎、名は忠右衛門宗房。俳号としては実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。


 松尾家は平氏の末流を名乗る一族だったが、当時は苗字・帯刀こそ許されていたが身分は農民だった。


 2歳年長の裕福な町人の息子西鶴と由緒ある農家の息子芭蕉がどのような時代や環境の下で成長していったのかはとても興味のあることである。


 当時は大人も子供も含めて凧あげは庶民のレクレーションでありスポーツであった。江戸では正月に上方では5月か6月に凧あげをするのが風習になっていた。


 一時的にせよ凧あげ禁止令が出たことは庶民の楽しみまで権力者の意志で禁止できる世の中で西鶴と芭蕉は幼少時代を送っている。


 江戸という封建時代の中でどういう出会いがあり、どういう学習をして浮世草子・人形浄瑠璃作者や俳諧師として大成していったのか


 特に芭蕉の青年時代はよく分からないことが多い。よく分からないためにいろいろな物語を紡ぐことができて面白い。
 ふっと思ったのだが、芭蕉はゲイ的な要素があったのでは。作品を通して検証できないものか。