yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 110  賄賂で勘定奉行を罷免

 1712年正徳2年壬辰(みずのえたつ) 古今東西いずこも同じ、権力にまつわる贈収賄事件が花ざかり。


 17年間の実績を持つ勘定奉行、荻原重秀が賄賂によって巨額の富を蓄積したという理由で罷免された。


 これは新井君美(きみよし)の三度にわたる決死的な封事(ふうじ、他見をはばかり密封して君主に奉る意見書、意見封事)によるもので、官民癒着のお手本のような賄賂であった。


 御用商人の中でも荻原重秀勘定奉行と深い結びつきがあったのが材木商人の紀伊国屋文左衛門(紀文)と奈良屋茂左衛門である。


 将軍綱吉時代は土木工事が盛んにおこなわれた。工事は入札制であるために賄賂がつきまとっていた。商人は工事を請け負うことで莫大な利益を得、その何割かを権限を持つ人、勘定奉行重秀に贈った。


 新井君美(白石)は、財政窮乏の要因は入札制における役人と商人との結託であると指摘し改革に取り組む。


 勘定奉行重秀の失脚とともに、紀伊国屋文左衛門(紀文)も奈良屋茂左衛門(奈良茂)も共に没落していく。


 日本全国、大なり小なり贈収賄事件は頻発している。日本だけではない韓国、中国と贈収賄事件の生々しいニュースが話題を呼ぶ。


 贈収賄を放置していると最終的には国家が崩壊していくので、時の権力者は監視の眼を厳しくしている。時の最高権力者が賄賂事件にかかわっている場合もある。


 賄賂は古くて新しい永遠の課題である。賄賂問題が無くなることはない。ただ時の権力者がこれをどう利用するかにかかっている。政治家と官僚と企業の三位一体の生き様である。

江戸川柳 色は匂へ  「む」の3 麦 4 聟(むこ)

いろりにてくどきおとして麦の中    麦畑は田舎のパラダイスだ。


 参考 冬は囲炉裏端で話がはずみ良い仲になる男女が多い。しかし、田舎のこと人目を
   忍ぶのは麦が成長するまで待たねばならない。田舎事情があった。


まだのびもせぬにもう來る麦ばたけ   辛抱がたりねえな。


麦ばたけざわざわざわと二人にげ    野暮なやつか。恋敵か。


4 聟(むこ)


聟えらみする内柳臼になり     えり好みをしていると臼になるよ。


 参考 柳=柳腰、臼=堂々たる腰つき


聟えらむ内雑兵の手にかゝり    そんなもんね。つい焦っちゃったのよ。


 参考 雑兵=身分の低い兵卒、地位の低いもの。


娘から逆よせにした聟をとり    ボーイハント、今も昔も。あっぱれ。


女房と思ふがむこの不覚なり    家付きには頭が上がらねえよ。


外聞のいゝ奉公と聟思ひ      悟りましたね。それでいいのだ。




遊行ライフ十人十色




つぶやき 126  サヨナラダケが・・・

 孫娘の声を聞くとことのほか元気になる家内。


「・・・。あなたの声を聞くと元気が出るのよ。忙しいのにありがとうね。じゃ、さようなら。」
「おばあちゃん。さようならって言わないで、またねと言って。」
「そうだね。じゃ、またね。」
「はい、またね。」


 孫娘の一言で、それ以後、「さようなら。」の代わりに「またね。」と別れの挨拶を締めくくるようになった。


「さようなら。」は生活のほんの一部なのに井伏鱒二氏の唐詩訳、「花ニ嵐ノタトエモアルゾ サヨナラダケが人生ダ」を知ってより、重く覆いかぶさっていた「さようなら」から少しばかり開放されたような気分になった。


   酒を勸む 于武陵(うぶりょう) 井伏鱒二訳


コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
花ニ嵐ノタトエモアルゾ
サヨナラダケが人生ダ


 「サヨナラダケガ人生か。」と言いたくなるが、「サヨナラダケガ人生ダ」が、重くのしかかってくる。


 俺の盃  一気にあけて  またの逢う日をネ
 さようなら  ダンチョネ


http://www.ctb.ne.jp/~bonta108
 遊行ライフ ダンチョネ

江戸川柳 色は匂へ  「な」の3 名(な) 4 中の町(ちょう)

なくっても事のかけない女房の名   オイだけで済ましちゃう。


名も呼ばずモシとも言はぬ内が花   アノ、アノ 新妻のういういしさ。


親の名の次第に似合ふ三回忌     若旦那、貫禄できたね。よお、いい男。


親の名がついて母親呼かねる     なんて呼ぼう。呼び捨てもできないし。


内ぢうの名をいってよぶせわしなさ  あるある。上から順に全部呼ぶ。


4 中の町(なかのちょう)


中の町さいたが通る見ともなさ    やぼだねえ。ひやかしそれとも見物。


 参考 中の町=吉原の中央を貫くメインストリート。 
    さいたが=刀をさした武士が。


中の町末たのもしくないところ    視界ゼロ。明日が見えません。


中の丁さくらにひとをつなぐ所    桜で人(男)を釣るんだ。


三夕の外の夕暮れ中の町       三夕にまけてない。夕ぐれどき。


 参考 三夕(せき)の歌=新古今集に載っている秋の夕暮の三名歌。


見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕ぐれ  (定家)
心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕ぐれ (西行)
淋しさはその色としもなかりけり 槇立つ山の秋の夕ぐれ (寂蓮)



つぶやき 125   豆腐屋の三男坊

 小学校から中学校までは同じ町内の友達が多い。


 中でも、豆腐屋の三男坊とは大の仲良しで、休みの日は朝早くから、太陽が出る前から彼の家に行って、あぶらげを揚げる手伝いをしたものだ。


 あぶらげの色と膨らみ具合を見て、ひっくり返すタイミングを身につけた。
 あぶらげが上がるころには、小売店に配達する豆腐の準備ができており、揚がり立ちのあぶらげを別の容器に入れて、彼と私で配達をした。


 配達が終わり豆腐屋にかえると握り飯と豆腐の冷ややっこに醤油をかけて朝飯にした。
 これが何ともうまかった。


 いまだに握り飯と豆腐に醤油だけをかけて食べるのが好きである。


 高校生になるとそれぞれの進路が違い少しばかり豆腐屋へ顔を出す回数が減ってきた。
 それでも日曜日や長期休みには豆腐屋に顔を出して手伝いをしたものだ。


 彼は喘息の持病を抱えていた。
 豆腐屋は長男が跡を継ぎ、次男三男は都会へと出ていった。昭和の戦後はそんな時代であった。
 彼は都会の空気が合わなかったのか持病を悪化させえて30代で旅立ってしまった。
 いまだに思い出す彼の姿は高校生のままである。


   山はみどりに  咲く花もえて  錦飾るはネ
   いつの日ぞ   ダンチョネ


 戦後の昭和30年ごろまでは、こんな時代であった。


 彼や豆腐屋の風景は今でも私の中で生きている。