yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

コント11 もうかえるの

「おかあさん、もう帰るの」


 恵美は残念そうにつぶやくのがくせになってしまった。
「そうそうお前のおつき合いもできないよ。早いもんだね。お前が結婚してもう二ヶ月が経ったよ、頑張らなきゃあ」


 満更でもない微笑を浮べて、母は恵美を元気づける。外国航路の舟乗りに嫁にやった責任感のような気持ちから母はたびたび娘の家を訪問した。


「オカアサン、モウカエルノ」
「ああ、帰るよ」と、いいかけて、母は笑った。
 毎度のことながら、母が玄関まで出てくると、玄関の下駄箱の上に置かれている九官鳥の長助か声をかける。母は恵美とまちがえて必ず返事をする。返事をしたあとで、なんだという顔つきで笑うのである。


 恵美も笑いながら玄関まで送りに出て、「なんでもよくまねするのよ」と、えさを与えた。


 新婚二か月で、夫の真治は船に乗り込み外国まわりが始まった。しかし、この海上生活もあと三か月のしんぽうだ。それから後は陸上勤務をすることが決まっていた。月給は半分に減るが、そんなことは、恵美にとっても真治にとつても問題ではなかった。


 真治が船に乗り込む前に、恵美の生活を思やり、買って来たのが、この九官鳥の長肋である。近頃では、恵美との生活に慣れてしまい夜明け方から夕方まで、しゃべりつゞける。
 それは、ことばを憶え始めた二、三才児が、手のつけられない程しゃべるのに似ていた。
 ある時は甘え声で、そして、ある時は、たかぶった声色で、長肋は憶えたことぱを関係なく羅列する。その声色は恵美の感情を実によくとらえていた。


 「ゴメンクダサイ、オハヨウ、モウカエルノ、オカアサン、ハハハ、オハヨウ、オカアサン」


 小さな声で、大きな声で、甘えるように、ささやくように、うったえるように、さえずりつゞける。


 母を送り出して、長肋にえさをやり、玄関に腰を降ろすと、恵美は溜息をつく、若さと健康と暇と金があり仕事のないことが、不満の種として心に積る。「さあ、頑張らなきゃあ」と、庭に出て力いっぱい背伸びをする。


 そんなある日、クラスメートの美子が、恵美の家を訪れた。
 「美子、ちっとも変わってないな」
 「おめでとう、恵美、おばさんに聞いたよ。見合いだって、まさかと思ったわ。後悔してるのとちがう」
 「とんでもない。しあわせよ。でも、いささか退屈ね」
 「ほん音はいたな、そりゃそうよ。金はあるし、瑕もある。健康でありあまるエネルギー、愛する夫は海の上、あぶないなあ」
 「何がさあ。美子とちがいますからね」


 久しぶりに会った同級の女同志、たまりにたまった日頃のうっぷんをん一気に晴らすかの如く、話題は尽きず、前後の関連なく思いつくままに乱れ飛ぶ。


 「美子、新聞記者って、なかがかなんでしょう。いつまで続ける気」
 「実はね、私も近々、結婚することにしたのよ、それで新聞社やめようと思うのよ」
 「またかつぐ、悪いくせなおらないのね」
 「本当、本当、うそじゃない。今度の仕事が最後になるかも、ほら、御当地出身の、英文学者の朝岡先生のインタビユーなのよ」
 「結婚の相手はやはり新聞記者なの」
 「そう、共同通信社の外電担当でね、新聞記者といっても、机にかじりついて翻訳して、整理するのが仕事。私も、その方をお手伝いしながら、将来は本格的に翻訳の仕事やってみようと決心したの」
 「うらやましいなあ、やってみたい」
 「あしたの、朝岡先生のインタビューいっしょにいかない。何かの参考になるかも」
 「いいか知ら、ついてって」
 「まかしときなさい。かなりずうずうしくなったんだから、あっ、それに、言おう言おうと思って忘れてたけど、恵美にお熱上げてた同級の野口文夫君、彼、放送記者でがんばってるわよ」


 恵美は瞬間、血のふるえるのを感じたが、美子には気取られずにすんだようである。


 次の日、恵美は美子といっしょに、朝岡先生を訪問した。美子は三日間、この地に滞在し、仕事を済ませると本社へ帰った。
 帰りしなに、野口文夫の名刺を恵美に手渡し、実験者がある種の好奇心で目を輝かせるように笑った。


 少し退屈ではあるが、平穏でつつましやかな恵美の心の中をかき乱して美子が帰ったあと、恵美は、暇と金と若さで憂うつになるのであった。


 日は無為に過ぎて行く、時折、思い出しては、文夫の名刺を取り出し、受話器を取るのであるが、途中でやめてしまう。
 しかし、ある日、遂に決行した。呼び出しのベルがルールールールー と、いやに耳に残った。


 夜の明けるのが早くなり、あちこちで梅の便りが聞かれ始めた。次の日曜日にでも、父母をさそって梅見にでも行こう、恵美はこよみをくった。


 玄関に出て、力いっぱい青空に向って、背伸びをした。これが、恵美にとっての唯一の若さの表現である。
 郵便受けに手を入れると、真治からの絵ハガキが届いていた。新しい港に入るたび、その土地の絵ハガキか写真を同封して定期便のように配送されている。


 「サデイナ港に碇泊、仕事が終わり、今日は給水のため特別休暇、同僚とサデイナの町に上陸、船上生活最後の記念品と恵美への土産を買う。サデイナの並木路を恵美と一緒に歩きたい、あと二か月 真治」
 読み終わって恵美は幸福感に浸った。


 「モウカエルノ、フミオサン」


 恵美は夫真治からの絵ハガキを取り落した。
九官鳥の長助に恵美は心の一端を覗かれたように思えた。


つぶやき6  検証苦手な日本人

    日本社会はどうも検証が苦手のようだ。と、つい最近まで思い込んでいた。しかし、大企業の粉飾決算の実態を知るにつけ検証が苦手というのは私の認識間違いであったと思い至った。
  本当は、日本人は現場検証にしても科学における仮設、実験、検証にしても優秀な能力を持った民族であると思う。
 では、何故日本社会は検証がにがてだと思い込んでしまったのか、それは日本社会が情報を公開することが出来にくい社会であったことに起因するのではなかろうか。
  都合の悪い情報は握りつぶすか、粉飾するかで正しい情報に触れることが極端に少なかったこと。日本の軍隊にせよ、原発事故の問題にせよ、大企業の粉飾決算にせよ国民は蚊帳の外である。
  おまけに、自分の仕事上で知りえた情報については勝手に公開すれば法的責任を取らされるように仕組まれている。よほどの事情がない限り仕事上で知りえた情報を漏らすことはまずない。
  これからの社会は、徹底的にあらゆることに対して検証をして、その結果を正しく国民に知らせるように法的にシステム化していくことが民主化への一歩であろう。


       秘密洩らせば  処刑になるぞ  
     漏らさぬ秘密でネ 国滅ぶ   ダンチョネ


いろはカルタ 「を」 江戸と上方

    老いては子にしたがふ(江戸)

『年をとってからは、何事も子に任せ、それに従ったほうがよい。』


       手も足となり起き上がる夏の朝   掌


         隠居生活は年寄りの知恵かも、



   鬼も十八(上方)

〖鬼も十八番茶も出花。鬼でも年ごろになれば少しは美しく見えるだろうし、番茶も出花(一杯目)が香りがよい。器量が悪くても、年ごろになれば少しは娘らしい魅力が出てくるものだ。〗


 結婚をするときはお互いにお互いの両親を確り観察することが大切である。番茶も花頃の娘も息子も人生の中で一番美しく見える年頃である。


その年頃の娘や息子の両親は五十歳代か六十歳代であろう。その両親の姿は容姿もものの見方や考え方も娘や息子の三十年後の姿である。


   親と同じように親の後を追って成長し年を取っていくことは間違いない。


    鏡に映る自分の姿を見て「ええっ」と驚いて声をあげてしまった。鏡の中に自分と同じ歳の頃の「父」が居るではないか。改めてじっくりと鏡の中の自分を眺めた。


つぶやき5 落語 男と女

   義理が上から下に向かってくる封建のモラルであり掟であるならば、人情は下から上に対決していく、横の人間関係を結ぶ相互扶助の力である。


  義理がどちらかというと悲しい物語に発展するのに対して、人情はあたたかい物語をつくりだす。ここに落語の魅力がある。同じ恋愛の問題を扱っていても、西鶴の「お夏清十郎」の物語と落語の「宮戸川」の話ではずいぶんと変わってくる。


  お夏は積極的に自分の生き方を押し通して、当時では許されない「恋愛の自由」の問題にぶつかり「狂乱」「出家」という形で結末を迎える。


  一方、落語では、物分りのよい粋なおじさんが登場して人情味豊かに丸く収める。
   気の弱い半七と勝気なお花が、ある晩、締め出しを食う。半七はおじさんの家に行くことになるが、お花は行くところがないので半七についていく「ついて来ちゃあ困るよ」「いいじゃないのよ」二人がおじさんの家へ入って行く。あわて者のおじさんが駆け落ちと間違えて二人を二階に閉じ込めてしまう。
「ばあさん、梯子を取ってしまいな」ふとんは一組しかない。真ん中に帯を縦に置いて半七、お花は朝を迎える。いきなおじさんが両親を説得して丸く収まる。


  封建のモラルを人情で下の方から崩していくところに、そして、そんな生き方を示すところに落語の面白さがある。




コント10 素晴らしき脱税

 ここは大分県の南の端、いわしと芋の産地K町である。K町におろやんとしめやんという実に仲のよい二人のおばあさんがいた。どうしてこの二人、仲がよいかというと、ちょっとしたわけがあった。


おろやんもしめやんも、朝から晩まで、孫の守りをして、町中を歩きまわって一日を過ごしていた。おまけに、二人とも実によく屁をひるくさい仲であった。


 屁をひるといっても、おろやんとしめやんの屁は、気持ちのよい、豪快な屁であった。妙な臭いを発散させない、無色無臭のいい音の屁で、どんな偏屈な人間でも声を出して笑わずにはいられない。


 屁をひるタイミングが実によい。


 今日も朝から孫をおんぶした、おろやんとしめやんは、海岸ぞいを散歩しながら町役場の方へと歩いていた。


 冬の寒い北風が吹きはじめると、役場のコンクリートの塀に囲まれた中庭は、子守り連中にとっては恰好な場所である。朝一番、早くそこに出勤するのがおろやんとしめやんであり、役場勤めの誰よりも早く、帰りは帰りで一番最後までそこに居た。
 役場に出勤する一人一人にていねいに朝のあいさつをするのである。にこにこと実にほがらかに
「町長さんおはようございます。(プー)
まあ、どうも失礼しました。(プー)」
 来る人、来る人にこの調子であり、毎朝のことなので、みんなも慣れてしまい、かえって、プーとでない時の方が変な気持ちになり今日は体の具合いでも悪いのではなかろうかと心配するぐらいであった。


 おろやんとしめやんは、プーとやるたびに爽快な心持ちになるので、まあ、いいとしても、二人の家族の者はみな難儀をしていた。


 特に、むすこは、何とかして屁をひるのをやめてもらいたいと思っていた。そして、おばあさんの屁は、きっと、精神がたるんでいるからにちがいないと考えて、或る日、
 「おばあちゃんよ、今度から屁にも税金がかかるちゅうことじゃ、すこし気をつけてもらわにゃなあ」と注意した。


 おばあちゃんも税金と聞いて、少し体が緊張して、精神が引きしまった。すると、景気よく、プー。
 ひょっとすると、おばあちゃんは、精神がたるんで屁をひるのではなく、過度に緊張した時にこそ屁をひるのかも。


 「わしだけじゃない。しめやんだって、わしよりも大きな屁をひる。しめやんにだって上納がかかるわい」
 そう思ったおろやんは、まあ、しめやんと相談して対策を考えることにした。


 翌朝、いつものように孫をおぶって役場に行く途中で、しめやんに出合った。
 「しめやんよ、しめやんよ」おろやんは日頃よりも少し小さい声で、それでも普通の人と同じくらいな声で
 「よんべ聞いたことじゃけんど、大変な法律ができたもんよ、あのな、大きな声でゆえんけど屁にも税金がかかるちゅう話しじゃ」
 「そりゃあ、たまらんことよのう」
 「それで、しめやんよ、今日からは自由に屁もひられんぞ」
 「おろやんよ、屁をひっても、役場んしにわからにゃ`いいし、誰にもゆわにゃ、わからせんもん」
 「ほんに、そうよのう」


 納得したおろやんとしめやんは、役場の方にしりをむけて、一発大きな屁をプーとやると、役場とは反対の方向に歩き始めた。


 この日より、町の人々は、誰もおろやんとしめやんのあの豪快な屁の音を聞いた人がいないということである。
 むすこは果たしてこれで良かったのかと自問自答している。