yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

いろはカルタ 「つ」 江戸と上方

    月夜に釜をぬく(江戸)


『月夜に釜を盗まれる意味。油断をしていてそれに乗じられるたとえ。』


 油断をしていたわけでも、関心がなかったわけでもなかったのに、執拗な攻撃で日本教職員組合を初め多くの労働組合が潰されて現在に至った。
 今やブラック企業が日本の社会を牛耳っている。
 あれから半世紀過ぎて執拗な攻撃の意味するところがやっと頷けるようになった。


    組合つぶして  天下を取って
    ブラック企業がネ  幅利かす  ダンチョネ


  爪に火をともす(上方)

【ろうそくの代わりに爪に火をとぼすほどけちである。】


 敗戦後の日本は社会全体が貧しかった。大人たちはみんな厳しい生活を強いられて「けち」に徹して子を育て教育に力を入れた。
 そのことを知っていて、大人になった親たちは厳しさに耐えることも「けち」に生きることも特別なこととは思はないで生きていける。
 「けち」という感覚よりも無駄をしないという感覚の方が身についているようである。


 無駄なく、無理なく、けちに徹して生活していて別に不満もなく人生を楽しんでいければそれに越したことはない。


 とても「けち」に徹して生活をする親戚の若者がいて少し心配していたのであるが、自分の目的達成のために「けち」に徹してためたお金を全額はたいて挑戦した時には安心と共によくやったと感動した。
 今でもそんな生き方をする若者が多くいることに満更捨てたものではないと思っている。


いろはカルタ 「そ」 江戸と上方

    総領の甚六(そうりょうのじんろく)
  (甚六は順録のなまり)


『総領息子は愚鈍でも順序として父の世禄を襲(つ)ぐことから、総領は他の兄弟にくらべて、愚鈍・温順なこと。』


 総領は甚六に限る。愚鈍で温順だから家族,親戚、知人、友人が心を許して付き合うことができる。
 頭が切れて、性格が厳しいやり手の総領は、兄弟姉妹にとって大変な重い存在になる。
 初めに生まれた子どもは、男であれ女であれ大事に丁寧に育てられ周りの人々の愛情を十分に受ける。二番目以下は大雑把に大胆に育てられる傾向にある。とてもたくましく育つようである。
 たしかに親戚や知人の子どもたちをみても、初めての子どもと二番目以下の子どもとの性格傾向が違う。
 どちらにもそれなりの良さがあり面白さがある。特に総領がよく育つと二番目以下もうまく育っていくようである。


    袖ふりあふも他生の縁(上方)


【道行く知らぬ人と袖の触れ合うのも宿縁である。すなわち、ちょっとしたできごともすべて宿縁の因縁によるものであるということ。】


 自分がこの時代に、この場所に、この両親のもとに生まれて、この学校に通い、この仕事について、この人と家庭を持ち、この娘をもうけ、孫が二人でき、大勢の親戚や知人に囲まれて生活していることを考えるとすごいことだと感心してしまう。


 どこかで少しでもずれていたら今の自分は存在しないということである。


    すごいことだよ  袖振りあって 共に生きたネ  
                 半世紀  ダンチョネ


5・7・5 アラカルト 川柳 1

    子には子の悲しみがある虫の墓  一車

 子ども時代を通ってきたのに大人になると子どもの心を理解できなくなる
人が多い。


    子どもの心を捨てて人は大人になるのだろうか。


 十人十色の悲しみや喜びを実感できてこそ教育の基礎基本を理解できるのではなかろうか。
 



いろはカルタ 「れ」 江戸と上方

    良薬は口に苦し(江戸)


『病気によく効く薬は口に苦くて飲みにくいように身のためになる。忠言は聞いていて愉快なものではない。』


 苦い薬は昔の話。今は、匂いも味もない抵抗のほとんどないよく効く薬が出回っている。
 小児用の薬には、甘い薬もあり、こどもがクスリクスリと要求することさえある。いいことなのか困ったことなのかわからない。
 薬と同じように「忠言」も甘いものになって、厳しい苦言など素直に聞く人間のほうが少数派になってしまった。
 子どもを叱ることができない。部下を叱ることができない親や上司で社会は大きく変化してきた。
 ほめ育てることが時代の主流になってきた。基本的には間違いではない。しかし、叱られる経験がなくなるとなまくらの生きる力の欠如した人間ばかりになって社会がやがて衰退していくだろう。


  れん木で腹を切る(上方)


【連木はすりこぎのこと、試みても成し遂げられないこと。】


 素人が考えても到底成し遂げられないようなことを堂同と言って国民をだましていく手口は政治家だけのものではない。
そのよい例が、福島第一建屋の汚線染水遮断の「氷の壁」である。ドライアイスの効果なく氷の壁断念を検討。
 南極大陸の氷が溶けて海面が上昇している温暖化の中で日本の地下に「氷の壁」を人工的に作るという発想を聞いたとき素人の私でさえ無理な話だと思ってしまった。
専門家の意見でも氷の壁は当初から凍結しないであろうと指摘されていながらやってしまう。やることなすこと十分な検討もなく遠慮なく国民の税金を使ってしまう体質が政治家や企業の幹部にある。
 かなりハードルの高い目標を掲げて、それに向かって邁進していく生き方は当然のことで高い目標や理想がなければ人は頑張りようがない。
 身近なことで国民の税金を無駄に使って効果のないことをやっている例があまりにも多い。


つぶやき9  落語 精神衛生

    理屈抜きに「笑う」ことは健康によい。封建時代の自分ではどうすることもできないモラルや掟の中で、民衆が「笑い」を求めて、よせに集まってきたのであろう。


   抑圧された心を解放し、大脳前頭葉や自律神経によい影響を与え、鬱屈した気分から逃れて、また、明日から頑張るぞという意欲がわいてくる。


   難しい仕事をしている人ほど落語に親しみ精神衛生を行えば、仕事の能率も上がるし、長生きもする。特に、教育者には落語に親しんでもらいたい。学究生活の中に、ユーモアとウイットとペーソスを取り入れ温かい人間味のある師弟関係を醸し出し豊かな学校生活を展開して欲しいものである。
「笑い」は人間関係を良くすること間違いなし。


 今、生きている血の通った人物を描きながら、来るべき社会や生き方を追求していく新しいモラルを提言するような新作落語が出てきて欲しいものである。


 近頃、腹の底から笑えない自分を発見する。歳を取りすぎた性なのか、社会が笑えないような社会に変質したのであろうか。
   屈託なく大声を出して笑える世間であり、いくら歳を取っても笑いのある生き方ができる自分でありたい。