yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸川柳 色は匂へ 「ぬ」 糠味噌

 ぬか味噌をきたながらぬは二度め也


 新婚さんはいつの世もぬか味噌の匂いになれるまでに時間がかかるものである。それを嫌がらずにてきぱきとこなすところを見ると初婚ではないなということ。
 江戸時代では初婚であろうと二度目であろうと三度目であろうと女は堂々としていた。江戸では女性の絶対数が極端に少なかった。
 だから女は引っ張りだこですぐに結婚相手が見つかった。歳の差なんか問題ではなかった。
 大奥はもとより各藩の抱える女は想像を超える数であった。その上遊里は大きなところでは一所で5000人をこす人数を集めていたという。
 江戸の男衆は一人者が多かったわけである。江戸時代は男も女も大変な時代であった。単純に昔はよかったなどとは言えぬ


コント20   じんじいどう

 桜の花が、風に散る頃になると思い出す。峠を越えて、海の見える僻地の教師として生活した時のことを。


 僻地に三年いれば出身地の学校へ帰すという約束で、健一はそれを信じ、三年間を過ごし、四年目が過ぎ、五年、六年目の春を迎えてしまつた。


 僻地では、年度当初に、僻地振興大会を持つ、新卒教師が一名、三年以上の僻地教育経験者から一名。計二名の者が大会に先だち意見発表を行ない振興大会を盛り上げる役を果たすのである。健一はそのうちの一名になった。


 今でも大会で発言した言葉が脳裏にこびりついて離れない。


 「近年、僻地教育の問題について、いろいろな意見や研究が新聞に発表され問題にされています。この期に当って、僻地に勤務して六年目を迎えた教員の声を聞いてみるのも何かの参考になるのではないでしょうか。


 五年間にいろいろなことがありましたが、今日は特に人事の問題に焦点を絞ってお話したいと思います。 
 僻地に何十年頑張っていても、自分で積極的に働きかけなければ、僻地まわりの教員は永遠に僻地まわりの教員としてその生涯を終わるのです。


 ある人は六か月で、ある人は一年で、ある人は三年で、ある人は十年で、自分の出身地または都市部の学校に転任して行きました。
 僻地の教員は変わられる時に変わっていなければ、アリ地獄に落ちこんだアリの如く絶対に抜け出すことができなくなります。


 人事が科学的にして民主的でなく、力の強弱によって左右されているからです。そこに『落着かぬ辺地の先生』という現状が起こるのです。


 将棋の駒でさえ、歩は歩なりに行き道が決まっています。ところが、僻地教員の生活は明日がわからないのです。生活設計など全くナンセンスです。


 僻地教育の真の振興を図るには、先ず、教育活動の中心である教員に夢と希望を持たせることです。今の教育界にどんな夢や希望があるのでしょうか。


 勿論、個人的には夢や希望が山程ありますが。


 そこで、私は言いたい。僻地手当やその他経済的優遇措置も必要でありますが、それにも増して必要なことは、僻地に何年間かを勤務すれば本人の希望を聞いてやるルールを作ることです。
 ルールのない教育界に正常な教育活動が行なわれるはずがあません。


 今、僻地から出身地または都市部の学校に転任するには三つの方法があります。
一、研究を深め実力を認められること、
二、有力者に頼ること、
三、金を使うこと。
 一の研究を深め実力を認められるためには、五年や十年では無理な話です。特に僻地では、だから人事といえば、コネかカネかと言うことになるのでしよう。
 人事異動についてのルールを早く作ることです。そうすれば僻地の教員も安心して、十年、二十年、僻地に腰を落着けて、僻地教育に本腰になって取りくむことができるのです。


 その時には、誰れかが犠牲にならなければなりません。そのような犠牲ならば進んでそれをうけましよう。たとえ、生涯を僻地の生活で終わっても。


 今、私はだんだん年老いて行く両親を故郷に残して、僻地教員として生涯を過すべきかコネでもカネでも、使えるものは何でも使って、我が家へ帰るべきかを、一人真剣に考えているところです」


 会場は静まりかえった。何分聞か過ぎるとこんどは騒然となった。教育長や校長たちの座席の方から、「ああいうことを言ってもいいのかね」 「こんなにずばり言われたのは初めてだな」「あれでいいんだ」と、ささやく声が健一の耳に入った。


 健一は発表を終わると、ほっとした気分で同僚たちの座わっている席へ腰を降ろした。ざわめきが静まったころ、健一の興奮もやっとさめて肩から力が抜けた。


 「大石健一君はどこですか」、健一の座わっている後方で男の声がした。健一が振り返ると、見憶えのある課長が所長の名刺を持って立っていた。
「所長がね、先程の話の続きを聞きたいと言っているが、ちょっと来てくれませんか」緊張した面持ちで健一に名刺を出した。


 心配そうに眺めている同僚や先輩の目を背に課長に案内されて、所長の待っている部屋へ入った。
 大会が終り帰る僻地回わりのバスの中で僻地の教育長や校長や同僚から激励された。


 次の年に、健一は出身地に程近い学校に異動した。


 思うに人事とは、およそ人の為すことで、エゴの上に成り立つ利害関係の接点であり、能力、情実、金と三拍子揃えば申し分がないが、能力も情実も金も持ち合わせていない者は、度胸で動かねばならないものらしい。


 人事は日本人的な義理と人情、一宿一飯の親分子分の如き関係で行われており、その枠の中から抜け出すことはできないように思われる。
 この枠の中で人間らしく主体的に生きるということは、自殺以外の何ものでもない。


 あれから十年。今では、流れに流されるままに身をまかせて、腹をすえて生きてみようと健一は決意しているのである。


 追記 健一の意見発表の2年後に県の教育委員会より公的文書として人事異動に関するルールが公表された。


5・7・5アラカルト 川柳6

 叩いたら叩き返せと祖母達者   山崎 初栄

 かくしゃくとした明治生まれのおばあちゃんは気風が良かった。喧嘩は1対1でするのが当たり前の時代である。1対1で対等に堂々と戦うことが当時の価値観であった。


 ところがある時期から集団によるいじめや暴力沙汰に変わってきた。
 口喧嘩に始まり殴り合いになり、仲裁が入って仲直りをしてまた元の友達付き合いにかえっていく。喧嘩した後、友情が増していい友達関係なることが常であった。


 しかし、そんな時代は過ぎた。


 「倍返し」が人気を得たのは、「叩いたら叩き返せ」時代の郷愁からかも。



いろはカルタ 「お」 江戸と上方

 鬼に金棒 (江戸)

『鬼にかなぼうを持たせると、強い上にいっそう強くなって手出しができないこと。』


 政治家に金を持たせると手が付けられなくなる。


 遠い親戚、選挙が近づくと急に親戚付き合いが始まる。彼が県議会議員から国会議員へと変化していく様子を目の当たりに見ることができた。
 政治家の実績を重ねていくにつれて、金のほうもよく集まるようになった。
 大金を自由にできる年齢になるころからだんだんと人が変わってきた。なんといっても国民のため国のためという行動がめっきりと減って、自分のこと自分の所属する派閥のことを第一として稼ぎ始める。


 自ら身を引くということを忘れてしまうようである


 負うた子に教えられて浅瀬を渡る(上方)

【背に負った子どもに浅瀬を教えられる意で、老練家もときには未熟な者の教えを受けることがあるたとえ。】


 二歳を少し過ぎた姪の娘の感性が素晴らしい。
 少しでも味の違う物を差し出すと静かにつき返してくる。姪の娘に味見をしてもらえば間違いなしである。
 大人は時に安物買いをやってしまう。
 本当にうまいのかまずいのかを姪の娘は自分の舌で評価し判断する。大人は金額や銘柄で判断してしまうことが多い。
 レッテルで評価すことの危険性を二歳の娘に教えられる。


 教育においてはよくレッテルで人を評価してしまう危険性を持っている。
 腕白小僧の行動だけを見てその内面を見るゆとりがなく乱暴者で他人の言うことをよく聞かないなどとレッテルを張ってしまう。この評価では腕白小僧の指導はできない。
 レッテルを張らずにその子の内面を見つめることによって腕白小僧の本当の姿を発見することができる。そのとき、人間関係が成立する。




つぶやき19 いつから変わり始めたのか

 少しずつ変わっていくときは変化の姿が見えない。
 50年も経ってみると、あの時が変わりの節目だったのかと理解できる。その思い当たる節目の出来事を少し考えてみよう。


「人権」というキーワードで、学校教育における「校則」の問題が日本全国で大きな話題になった。特に、頭髪と服装の自由化である。基本的には「頭髪と服装」は個人の意思と責任で自由であるべきだと思う。
 ただその当時校則の自由化をきっかけにあらゆる規律が学校教育の手を離れ始めた。このことも基本的には賛成である。
 しかし、それには家庭教育や社会教育の受け皿が確りしていることが前提条件である。

 地域社会では、子ども会組織がなくなり。家庭では昼間、祖父母はもとより両親も共働きのために不在となる家庭が増えた。塾や習い事にいける子供は大人不在の時間をうまく乗り切れるが、学校から帰って子ども一人で過ごす人数が多くなっていくにしたがって子どもを取り巻く文化が変化してきた。
 この子どもを取り巻く文化の変化、即ち、大人たちの価値観の変化が日本の教育を変化させた一番の原因であると考える。


 公教育を変えた価値観の第一は、全国統一学力テストによる点数公開(順位付け)で教師も親も振り回されていくようになった。
 第二が、すべてのことを「金銭」に置き換えるようになったこと。
 以上の二点から子どもを取り巻く文化の変化と絡み合わせて具体的に日本の教育の変化を考えてみたい。(つづく)