yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

つぶやき33  子犬の選び方

  昔々、小学生のころ、隣にとても犬の好きなおじさんが住んでいた。
 暇があるとおじさんと犬の散歩に出かけたものだ。
 そのおじさんから犬についてのいろいろなことを教えてもらったことを未だに忘れず覚えている。


「信ちゃん、子犬を飼うときの選び方のコツだけどな」
「犬の選び方にもコツがあるんじゃなあ」
「そうじゃ」と、言っておじさんは詳しく楽しそうに話してくれた。


 覚えていることをまとめてみた。


 子犬が産まれて2か月から3か月の頃、子犬が数匹いるところへ出かけていき、子犬の癖をよく見ること。
 子犬の癖の見方の一つに、子犬が群れて遊でる所の近くにハンカチを勢いよく投げつける。


 一番にハンカチにとびついてじゃれて遊ぶ子犬、一瞬びっくりして一歩逃げかかって、なんだろうとハンカチにそろりと近づいて来る子犬、大変驚いて遠くの隅っこに逃げてしまう子犬。


 大きく分けて、この三つのタイプに分けられる。


 すぐに飛びついてじゃれつく犬は、元気者で誰とも仲良くなれる犬。躾の面では、少し厳しさがいる。
 一歩退いて、不思議そうに近づいて来る犬は、用心深く、主人の指導を一度で理解する犬。
 一番遠くまで逃げた犬は、少し臆病で勇気を持たせるのにかなり辛抱強い指導の時間がかかる。


 どの犬を飼ってもいいのだが、その犬の個性を正しく理解して、その犬にあった接し方をしなければならない。


 まあ、以上のような話であった。


 犬の選び方の後、おじさんは犬の飼い方についてもとても大切なことを教えてくれた。中学生になって犬を飼った時にとても参考になった。


5・7・5アラカルト  川柳 9

 勉強をしろと子に吹く秋の風   村田 周魚

 昔のことだけど、夏休みが終わりに近づくと宿題をどうにかしなければと大慌てしたものだ。今はどうなんだろう。夏休みの宿題があるのかな。
 塾に行く子どもが多くなって、やるだけのことはチャンチャンとやって悠々自適に夏休みを満喫しているのだろうか。どうにも手の付けられない宿題を前に登校拒否の心境になっている子どもはもう居ないのかな。


 勉強は年齢に応じた内容を精一杯やって、大人への階段を登るのがいい。


 その年齢でなければできない学習がある。有名校に入って一流の企業に勤めることなどは、現在ではほとんど夢である。そのようなコースを歩けるのはほんの一部の人でそのほかの人は宝くじに当たるのと同じような確率であろう。


 これからの進路の取り方は、子どもの個性を早く発見し最も適した進路を目指すべきである。なんとなく社会の流れに流されて進路を決定していくのは無駄が多かったり、無理が多かったりして効果的ではないようである。


 菫には菫なりの美しさがある。それを大切にする。それがいい。


コント28    花に嵐のたとえもあるぞ

 歳をとってくると時々夢を見ていると意識して夢を見、夢ではないと意識しながら夢を見ている時がある。夢と現実が夢の中で交差する。何とも不思議な体験をすることがある。


 ある日、ばったりと、仏さまにおあいいたしました。


 絵や彫刻にある仏さまのお姿とすこし違っていましたので、最初の数分間は判断がつきませんでした。それでもすぐに、仏さまだなあと思うことができました。


「失礼ですが、あなたは仏さまではございませんか」ついロぐせの「失礼ですが」ということばが口をついて出てしまう。
仏さまは、静かにうなずかれました。


 「仏様と言われるほどの仏ではない。此岸(この世、現実の世界)から彼岸(あの世、理想の世界)へ渡っただけの仏じゃよ」


 私はとっさに、これまでいろいろ聞きたいと思っていたことを急いで整理してみましたが、いざ口を開こうとしますと思うようにしゃべることができません。


「人間は死ぬとどうなります」
「そうだな、別にどうなるということもないが、生きているお前に死後の世界を話しても、理解できまい。また、いったい死後の世界のことを聞いてどうするつもりだ」
「どうするつもりもありません、ちょっと不安になるものですから」
「別に心配することはない。今の地点から隣の町へ行くのに一地点一地点を瞬間に通り過ぎるように、生から死というトンネルを瞬間に通り過ぎるだけだ。ただ暗いのでちょっと不安になるが、通り抜けると前よりも明るく見える」
「引き返すことができますか。」
「ああ、できるよ。中には途中で引き返す者もいるし、そのまま通り過ぎてしまうものもいる。引き返すにしても、通り過ぎるにしても、ごく自然だよ。」


「仏さまのお話を聞いていますと、旅のようでございますね」
「そうだよ。見送り人のいる時もあるし、いない時もある」
「見送りをする人々は悲しむでしょうね」
「そんなことはない。悲しむ人もいるが喜ぶ人もいる」
「それでも、家族の者はみんな悲しむでしょう」
「そりゃあ、悲しむ人の割合は他人よりも多いが、喜ぶ人も時にはいる。考えてごらん旅をする当人でさえ、悲しんだり、喜んだり、さみしがったり、その時、その場で心が変わって行く。どんなに悲しむ人でも不思議なものだな、四十九日が過ぎれば普通の生括にかえるよ」


「そういうものですか、何か、仏さまのお話を聞いていますと、心がなごみます。また、たびたびお会いしまして、お話を伺いたいと思いますが」
「そうだな、そうたびたびは会えんだろう」
「どうしてでございます」
「宇宙は広いし、人間は多い。私がひまな時でも、お前さんが忙しい時だってある。ここで別れたら、もう二度と会えんかも知れんなあ」
「それはさみしいことでございます」
「しかし、もう、私に会わなくてもいいだろう」
「どうしてです」
「私の話すことは、いつでも同じだ、二度三度会って話しても、変わりばえはせんだろう」
「いえ、いえ、そんなことはございません。私は何度同じお話を聞いても忘れるし、何度同じお話を聞いても、おもしろうございます。同じお話でも、聞くたびに、私の受け取り方は変化していきます。一度よりも二度、二度よりも三度と、聞くたびに、今まで聞けなかった声が聞こえてくるのでございます」


「仏のような耳の持ち主じゃのう」
「ありがとうございます」
「お前さんのような人と話していると、このわしの存在がおかしくなってくるのう」
「どうしてでございます」
「お前さんのような人には、もう私は必要ではない」
「そんなことはございません。一緒に居るだけで、心がなごむようでございます」
「そうか、そう思ってくれる人が居るとはありがたいことじゃ。今日からお前さんがほとけになるといい」
「いいえ、とんでもない、私ごとき者がどうしてなれるでしょうか」
「なれる」


 仏さまは、底力のある慈悲に満ちた声で私を一喝されました。瞬間、私は新しい光を身体に受けました。今まで見えなかったことが見えたようでございますが、果してそれが何であったかは、今だに思い出せません。


 更に、仏さまは話を続けられました。
「なれるものじゃ。人間、誰にも、仏の心がある。その仏の心を見つめようとしているとき。また、仏の心が見えているとき、仏の声を聞こうとしているとき、また、仏の声が聞えているとき、その人は仏じゃよ」
「そうすると、私の中にもまわりにも、仏さまは存在するわけでございますか」
「そうじゃ。生死を越えて、仏はお前さんの中にも、まわりにもいる。ただ、物のかげになったりするので、見えたり、見えなかったりするだけじゃ。今日は、私もお前さんに会って、自分の仏心を見直すことができてうれしいよ」
「仏さまにだって、そういうことがございますか」
「ある。ある。人によって、私の心が光ったたり曇ったり、まあ、お前さんも、これからは、私に会おうと思ったり、仏になろうと思ったり無理な努力はやめることだな。ごく自然に私に会える時には会えるし、仏になれるときには仏になる。何様になることもない。あわてることはない。そのままでいいのじゃ」


 はっきりと意識した夢の中で、私は、静かにうなずきました。仏さまはそのまま去って行かれました。


つぶやき32  ラブ イズ オーバー

 高齢者施設の理事会に参加するために家の駐車場を出た。
 この理事会で理事の仕事も最後にしようと。


 家を出て、4・5軒先の後藤さん宅の庭の柿がいつものように秋色に光りだした。一度冷え込むと甘くなる。もう食べごろかな。


 カーラジオのスイッチを入れた。


「ラブ イズ オーバー 悲しいけれど終わりにしよう きりがないから・・・」
 なんとも哀調のある男性歌手の声が流れた。


 秋色になった並木の街路樹を抜けて、15分ほどで高齢者施設に着いた。玄関に入ると朝の明るい高齢者の声が集会場から聞こえてきた。


 青島幸男作詞 中村八大作曲の「明日があるさ」の歌声だ。
 80歳や90歳を超えた高齢者が「・・・明日がある 明日がある 明日があるさ」と元気良く歌っているのは素晴らしいが、少し怖さもある。


「ラブ イズ オーバー 悲しいけれど終わりにしよう きりがないから・・・明日がある 明日がある 明日があるさ」と続けて歌えばいいのだ。


 恋も仕事も人生も、きりがないから終わりが来る。まさに人生のレクイエムである。いい歌だ。


いろはカルタ 「あ」 江戸と上方

 頭かくして尻かくさず(江戸)

『一部の悪事や欠点は隠しているが、他の大部分があらわれているのを知らないさまを嘲っていう。』


 姪の子どもが一歳半を過ぎたころ、かくれんぼで自分の目を小さな手で覆って隠れているつもりになっている姿は何とも可愛いものである。


 世にいうブラック企業はいろんなことを隠していると会社側は思っているが、悪事や問題のあらかたは世間の知るところである。


 頭も尻も丸出しというところか。


     ブラック企業と  知らずに入社
     孫は三年ネ    石の上    ダンチョネ



 あきないは牛の涎(上方)

【商売は、牛のよだれが細く長く垂れるように、気長く努力せよということ。】


 食品の偽装問題が世間で話題になった時「おできと商いは大きくなるとつぶれる」と言ったのを耳にした。
 うまいことを言うもんだ。確かに、できものがだんだんと大きくなり、ブヨブヨになって痛みとともに瞬間、つぶれて膿が出てやがて回復に向かう。おできの場合は潰れることで新しい細胞が活性化して正常に戻っていく。


 しかし、商いの場合は手を広げすぎて大きくなると一つのつまずきで一瞬に倒産して、倒産した後、立ち直る企業は少ない。おできは潰れた方がよいし、商いは潰れたらそれでおしまい。ということの方が多い。


 中には、会社をわざと潰して不正をする経営者もいるので油断も隙もできない。