yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

5・7・5 アラカルト 川柳 4

 先生にいつか似てくる字の配り  かめ吉

 子どもは周囲の環境に影響されやすい。字の配り、しゃべりぶり、しぐさはもとより、ものの見方、考え方まで・・・怖いことである。


 教師の研修の根本は何であろうかとつくづく思う。



つぶやき14  ことばの不思議

 数日前、任天堂、東京市場で2位に転落という記事に一瞬「えっ」と読み返した。「転落」ということばがこの記事には違和感である。
 東京市場に上場している会社は、東証第一部1975社、第二部541社、マザーズ227社、JASDAQスタンダード726社で 合計3469社である。(216・8・1現在)
 3469社中の2位で、「転落」と言われると、違和感を覚える。「だめになったのか」「もうだめになるのか」というような心の動きを誘い出す。せめて2位に後退ぐらいが良いのではと思ってしまう。
 マスコミの言葉の使い方で私たちは相当な誤解をして、それがあたかも真実のように独り歩きをしていく恐ろしさを思う。


いろはカルタ 「む」 江戸と上方 

 無理が通れば道理ひっこむ (江戸)

『道理にはずれたことが世の中に行われれば、道理にかなったことが行われなくなる。』


 古今東西、今も昔も人が起こす事件は山のよう。
中でも、「無理を通す人」いや「無理を通せる人」と「道理を引っ込める人」の人間関係には関心がある。まさにドラマである。
 近年の事件をみているとこの手の事件が多い。詳しくその姿を追求していくと一本の短編小説となる。問題はその解決方法が難しい。小説の幕引きをどう持っていくかが思案のしどころである。
 現実の問題にしても不正の後始末が重要である。幕の引き方、決着の仕方に関心が向く。


 多くの人が納得のいく後始末であったのか。無理な決着の仕方であれば、かえってその後の現場を混乱させることになる。


 「信頼」が、その後の現場を左右する。知恵の出しどころ。


 馬の耳に風(上方)


【馬の耳に風が当たっても馬は何の反応も示さないところから、いくら意見をしても、全く効き目のないこと。】


 孫が小学校の三年生か、四年生だったか、四字熟語の小事典をプレゼントしたところ、あっという間に小事典を丸ごと覚えてしまい、何かにつけて漢字四字熟語で応答するようになった。


 授業の最中に先生が「○君は何度言っても守れないのね」と言ったところ孫がすかさず「馬耳東風だよね」と応答した。


 すると先生は「あなたにだけはそう言われたくないよね」と大笑いしたと、後日の家庭訪問の時に話してくれたそうである。


                      家族一同  納 得




つぶやき13  落語と間

 落語の名人は、「間」の取り方が凄い。聴衆を「間」だけでぐいぐいと話の中に引き入れていく。
 思考のはやさを「間」で聞き手の思考に合わせている。「間」が思考のリズムを調節している。「間」は自分を一瞬省みて、相手を受け入れる瞬間芸である。
 「間」抜けや「間」伸びがあってはうまくいく話もまとまらないことになる。


 江戸落語と上方落語では「間」に微妙な違いがある。春風亭小朝師匠の落語と桂文珍師匠の落語を聞いていてそのことに気付いた。
 小朝落語は調子よくリズムに乗ってぽんぽんと話が進んでいく。「間」は極めて短いがそれを意識させない。
 文珍落語は「間」で、ゆっくりと笑いを取る。
 この違いをもう少し深く考えてみよう。


 落語の構成は話の入り口としての「枕」と展開としての「対話」と終わりの「落ち」で成り立っている。オー・ヘンリーやモーッパサンの短編小説にも匹敵するような作品がある。
 「うまや火事」などは私のもっとも好きな落語の一つである。落語を楽しみながら、落語の話術から、「間」を体得すればと思う。




江戸川柳 色は匂へ 「と」 友達

 母の気に入る友達のやぼななり

 今も昔も母親の気持ちは同じ。服装などには大して気にかけず地味で質実な身なりの友達は母親に信用される。


 髪形や服装、そして言葉遣いと母親は一瞬にして友達の人間性を見抜いてしまう。野暮っぽい友達に間違いはない。粋なイケメンは息子に良い影響を与えない。それほんと。