yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

いろはカルタ 「ひ」 江戸と上方

 貧乏ひまなし(江戸)

『貧乏なため生活に追われっぱなしで、少しの時間のゆとりもない。』


 暇を持て余す大金持ちと暇を持て余す貧乏人と大きく二つに分かれてしまった。
 暇がないほど働く仕事があればまあ幸せの方になる。暇がないほど働いても貧乏な暮らしを強いられるか、働く仕事がまったくなく暇で貧乏な暮らしをしているかのどちらかである。


 富裕層は有り余る金をどう有効に使うかで悩む。貧乏人は明日の飯をどう工面するかで悩む。同じ悩みでも質がまるで異なる。


 どうせ悩むなら金の使い方で悩んでみたいものだ。


  アベノミクスで  消費税あげて
  年金下げてネ   明日を待つ   ダンチョネ



 瓢箪から駒(上方)

【道理上あるはずのないこと。意外なところから意外なことがあらわれること。】


 ある教育研究機関に研究員として勤めるようになった時のことである。


 二人の大物課長が対立して、所構わず自分の意見を通してやりあい組織全体が動かなくなりかけていた。そのような職場から中央に執行委員を出さなければならない時期が来て大変なことになった。


 どちらの課長も自分の息のかかった部下を執行委員に送り出そうとして一歩も引かず結論が出ない。すったもんだと時間をかけた末に今年入った私に白羽の矢がたった。


 研究機関のことや執行委員のことなど全くわからない、どの派閥にも属していない自由人を担ぎ出して一応のけりがついた。


 執行委員を経験することの意味も後でわかったことであるが、その時は何も若い内の経験と思って気持ちよく引き受けた。この経験が後々の職歴として効果的に働いた。


 まさに、瓢箪から駒の体験であった。



いろはカルタ 「ゑ」 江戸と上方

 縁は異なもの味なもの(江戸)

『男女の縁は不思議で常識では判断できないことをいう。』


 うちのばっちゃんは、男と女をくっつけるプロであった。
 八十八歳で亡くなるまで数えきれないほどの仲人をした。
 私が小学生のころ、学校から帰ると我が家のお座敷に知らない女の人と男の人がばっちゃんを挟んで真面目な顔をして茶を飲んでいることが多かった。
 小学生の私から見ても「これは成功しないだろう」と思っていてもなぜかしら上手く結びついてしまう。ばっちゃんには男と女を結びつける特別な才能があったのか、ただ単に男と女は結びつきやすいのか。


 ばっちゃんの口癖は、男はいのちき力(生活力)があればいいんじゃ。女は元気なのが一番。ばっちゃんが結びつけた男と女は、健康で明るい仲睦まじい家庭をつくっていた。


 幸せは身近なところに転がっている。


 縁の下の舞(上方)

【御殿や寺院の高くて広い縁の下で舞などしても上の人には見えないから意味がないということから無駄な骨折りを指す。】


 部下の一人二人がつくようになると、自分を目立たせようと必要でないことまでわざわざ企画してパホーマンスをするようになる人がいる。


 学校でいうと主任クラス、会社でいうと係長、課長クラスが上を目指して表舞台で踊り始める。
 必要でもない会を企画して、その道の先輩を講師として招聘して法外な謝礼をして次への足掛かりを確実にしていく。
 そのような事例にこれまでに何度か出会ったが、その時は無頓着で一向に判らなかった。自分がその年齢を通り越して初めて、ああ、あれがそうだったのかと納得するような次第である。


 無駄な骨折りを頑張って継続している人を認める社会でないと手の付けられない社会になっていくのではなかろうか。



江戸川柳 色は匂へ 「た」 大名

 大名の過去は野に付し山にふし


大名=将軍に直参の一万石以上の武士
野に伏し=野伏というと山に潜む盗賊の意


 一番に蜂須賀小六のことを思い出した。講談や太閤記に出てくる小六は野盗の親分とされているが、単なる創作であるらしい。
 しかし、このような創作が出てくる背景には江戸庶民の思いが隠されているのではなかろうか。
 今でこそ、大名として何不自由のない生活をしているが過去は何をしていたのか分かったものではない。


 確かに野に伏し、山に伏して戦をしてのし上がってきたことには間違いないのであるが、中には野盗の親分であったものもいるに違いない。
 このような意識と風刺が感じられる。その意識がやがて武士の世界を崩壊させていく原動力になっていったのであろう。


 今、国民がどのような意識でこの社会を見ているかで現在の社会システムが変化していく。何百年かかるかは分からないが。


 インターネットの普及が思わぬ時間を縮めることもあるだろう。


5・7・5アラカルト 俳句11 

 露天湯に花を映して岩煙草   濱田坡牛



 (季節の花300より)


 定年退職をしてから毎週湯布院方面に家内と1泊旅行をしたものだ。

 夏の日は途中、由布川峡谷に立ち寄ることが多かった。巨大な渓谷を岸壁の上の方から手作りの縄梯子を伝わって由布川の源流の流れにたどり着く。

 途中、夏の日の木漏れ日の当たる岸壁にしっとりと咲く岩煙草の白い花を発見した。実際に見るのは初めてであった。この日より私は山野草のフアンになってしまった。
 若葉は食用になり、煎じて胃腸薬にもなるそうです。

 えっ、あれからもう20年も過ぎてしまったのか。





いろはカルタ 「し」 江戸と上方

 知らぬが仏(江戸)

『知ればこそいろいろ妄念がおこるが、知らねば心も穏やかで仏のようにわだかまりがない。知ればこそ腹も立つが知らないので平気でいられる。
転じて、当人だけが知らずにのんきに構えているのを嘲っていう語。』


 大学入試も会社の就職も当人の知らないところで親が確りと動いている場合がある。
 そのことを知っていると、おぼっちゃんやお嬢ちゃんが、いっちょうまえの口を聞いて、世間の批判をしたり、人生を語ったりしているのを見るとつい笑ってしまう。


 昭和二十年八月十五日の敗戦の日から、歴史の真実を知らされぬまま今日ここまで来た人が日本人の大多数である。
 近年やっと政治の実態がアメリカと日本との関係で隠されていた事実が表に出始めた。


 戦後七十年を過ぎて、やっとだね。



 しはん坊の柿のさね(上方)

【しはん坊はけちん坊のこと。けちな人間は柿の種のような物でも捨てるのを惜しがることから、極度の吝嗇家をののしっていう言葉。】


 消費税は上がり、年金は下げられて、かつての中間層などと持ち上げられた人たちが貧困層の仲間に入った。これで富裕層と貧困層の二極になってしまった。
 貧困層の仲間入りをしたのに生活は縮小できないでかつての中流意識から抜け切れずに中には崩壊寸前の人たちも増えている。


 いまこそけちな生活に徹して崩壊寸前の経済生活を維持しなければならない。


「けち」だから金を貯めることができたのか。金がたまったから「けち」になったのか。


 金を貯める人は、基本的に生活に無駄がない。中途から小銭を握った中間層はあるだけ使ってしまい金を貯めることはできない。