yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

つぶやき49   学校教育と笑い

 戦前の国定教科書も捨てたものじゃない。


「笑い」と題する章がある。
「笑フ門ニハ福来ル」トイヘリ、という書き出しで国民に笑うことを奨励している。また、大正9年発行の尋常小学校の国語読本には江戸小咄ものっている。


 日と月と雷が同じ宿屋にとまりました。朝、雷が目をさまして見ると、月と日が居りません。宿の者にきくと、「もうとうにお立ちになりました。」と言います。雷はかんしんして、
「あゝ、月日の立つのは早いものだ。自分は夕立にしよう。」


 学校教育もゆとりがあったのだ。


 昭和50年代の中学校の国語の教科書にも小咄が載っていた。


 その小咄に自分なりの物語をつけたして、みんなの前で一席披露させたものだ。


 ある男子生徒


「やあ熊さんどちらへ、ちょうどいいところで出会った。この先のあの空き地にね。囲いが出来たんだって、へえ。」で終わるはずであったのだが、「あの空き地に塀が出来たんだ。」と言ってしまって、目を白黒させていた時、一番前の男子生徒が、


「かっこいい」と声をかけた。クラス全員拍手。



5・7・5アラカルト  川柳13 

 小用の妻へ肩貸す夜半かな   右近 志秋

 誰もが一度は通る道。


 健やかなるときも病めるときも変わらぬ誠実な態度で淡々と生き抜いた友を思い出す。


 彼は親の反対を押し切って一回り上の彼女と結婚をした。彼が50代後半から彼女、妻が認知症を患い彼が60歳で定年退職をしたとき、妻は72歳で車いすの生活に入った。


 彼は底抜けに明るく大らかに、青年時代のままの気分で妻の介護をやり抜いた。あっぱれ。


 いい友を持ったことを誇りに思う。


 私も彼に負けないように明るく快活に晩年を過ごそうと心に秘めている。
                  
                  誠実に確かに生きるぞ。


                  涙を誘う川柳もあるんだ。
 


つぶやき48   それを言っちゃー

「それを言っちゃーおしまいよ」と言いながら、当の本人はそれを言っては旅に出ることになる。


 愛すべき男であるが、身内に寅さんのような人がいたら大変だろうと思う。ところが意外と身内や近い親戚の中に一人や二人はいるものだ。
当人は全く自覚がないので困ったものである。


「ことば」で人は命を捨てることもある。いじめの始めは先ず言葉からである。
 そして、「それをやっちゃーおしまいよ」とやってはいけないことをやってしまう。暴力行為や相手が嫌がる行動である。


 いじめを発見するには「ことば」の段階で見抜き手を打つことが大切である。


 集団生活の中でいじめがないと思っていることが間違いのもとになる。
 いじめはある。この姿勢がなければいじめを発見するどころか、「嫌がる行動」や「暴力行為」が起こってもいじめを発見することが出来ない。


 集団の中で決定権を持つ人が行動を起こさない限り集団を変えることはできない。


 学校でいえば、校長である。学校で決定権のあるのは校長だけである。
 企業でいえば、人事権と予算権を持っている人である。


 何も問題が目に見えない時点で起こす行動と問題が発生してから起こす行動は全く違う。


 何も問題が見えない時点で起こす行動は、トップリダーの生き方やこの集団のあるべき姿をあらゆる場を通して発言しなければならない。発言したことを着実に実行に移すことである。


 トップの行動が目に見えないことには話にならない。


「言っちゃーおしまいよ」「やっちゃーおしまいよ」の前に


 学校では、校長は何を発言し、何を実行すればよいのであろうか。
 企業では、どうであろうか。リーダーの発言と行動を追ってみたい


コント37   かみつき猿

 昭和23年、終戦後の3年目だったかな。東京のほうから転校生が入ってきた。私が、小学校6年生のときだ。


 市立温泉小学校はのんびりと豊かにその日暮をうけいれていた。


 終戦後の3年目ということで社会は混乱していたが、町はなぜか何事もなかったように進行していた。そう思うのは私と一部の子どもたちだけだったのかも分からない。


 東京からの転校生は、色白でちょっとばかり小柄ではあったがきりりと引き締まった顔立ちと立ち居振る舞いは「聡明」という言葉がピッタリの雰囲気をかもし出していた。


 見た目の通り頭脳も明晰で初対面から誰もが秀才と認めた。


 温泉小学校は、年中温泉を利用できた。寒くなると掃除のときの雑巾がけはもとより、体育の跡の足洗いや手洗いはかけ流しの温泉を自由に使えた。


 当時、学校には、常駐の用務員さんと交代で男性教諭が宿直勤務で学校に泊り込んでいた。担任の宿直のときは数人の友だちと宿直室を訪問した。


 用務員室と宿直室の隣にこじんまりとした内湯があり天然温泉がいつも溢れていた。


 4,5人は入れる湯船なので、全員一斉に一度にお風呂に入ることができた。担任と裸のコミュニケーションができたことは今思えば凄いことだと思う。


 「聡明」な転入生は、宮崎公一といい、その優しさと頭の良さで「博士」というあだ名がつき学級のみんなに受け入れられた。


 ただ一人、そのことをあまり心地よく受け入れていないボスが居た。福岡政治といい、父は市会議員で、母はPTAの役員をしていた。政治(まさはる)は、根っからの人のいい親分肌の面倒見のよい、見るからに喧嘩も強いだろうと連想させる少年であった。


 小学校生活最後の夏休みに入る前日、一学期の終業式が終わってそれぞれに下校をし始めた。教室の中には、私と転入生の宮崎公一と福岡政治とあと男子2,3人を含めて7,8人ぐらいが残っていた


 突然、机の倒れる音と政治の悲鳴が聞こえた。


 見ると公一と政治が取っ組み合いの喧嘩をしている。どうみても勝ち目のない公一が、政治の懐深くもぐりこんで、その上から、政治が大きな体で公一を押さえ込んでいた。


 誰が考えても、政治が有利であるはずなのに悲鳴を上げているのは政治である。どうしたことだ。


 私と居残り3人がかりで二人を引き離した。公一は、下にもぐりこんで政治の右足の太もものあたりに噛み付いていた。ここはいたいところである。


 なんとか二人を引き離し、その日はみんな下校をした。


 その事件はその日のうちに学級の全員に知れて、学級の政治と仲のよいグループでは、これを機会に宮崎公一に「かみつき猿」というあだ名をつけた。


 小学校生活残りわずかではあったが、公一は「博士」と「かみつき猿」の二つのあだ名で暮らすことになった。「博士」と呼ぶのはほとんど女子で、男子のほとんどは「かみつき猿」と呼んでいた。


 夏休み明けの2学期からが大変だぞと予想していた学級全員であったが、予想に反して、公一と政治の人間関係はよかった。


 その辺の事情は、私と政治と公一と3人で行き来することが多かったのでよく理解できていた。


 夏休みの初日、朝早く公一と公一の両親が私のうちにやってきた。聡明な博士の親にふさわしく物語りに出てくるような雰囲気を持っていた。


 「昨日は、大変なところを仲裁に入っていただき有難うございました。つきましては、先方に謝りに行きたいのですが、あなたも一緒に来てくれませんか」ということであった。


 一番の仲よしを立会人にして政治の好きな菓子を持って、私が道案内をして政治の家に出かけた。政治の両親は恐縮して、快く公一と公一の両親を受け入れてくれた。そんな経緯が夏休み中にあったことは学級の誰もが知らなかった。


 政治と公一は、夏休み明けから急速に接近し仲良しになった。


 腕力第一と頭脳第一が急接近したのでこの学級は大変まとまりのよい仲良し集団となっていった。


 その後、宮崎公一こと博士、またの名をかみつき猿は東大に進学し官僚の道を選んだ。


 一方の政治は、名前の通り市会議員から県会議員と政治の道へと父親の地盤を引き継いで活躍した。


 


つぶやき47  ちょっとだけ丁寧に 

 教頭は毎日最低一回、メモ帳とデジカメを片手に校内巡視を校長はメモ帳とデジカメとゴミ袋を持って、一日一回学校周辺を巡回することを勧める。


 校内巡視をしていて、運動場から校舎への出入り口の頭上の壁が1cm程浮いているのを発見し直ぐに校長へ報告をして出入り口を封鎖した。校長は教育委員会に連絡を取った。


 教育委員会から建築担当の主査がやってきて長い棒の先に金づちの付いた器具でその浮いた壁を一度叩いただけで、壁が勢いよく崩れ落ちた。


 校長、教頭、教育委員会の担当者でホット胸をなでおろした。


 1時間以内に問題が解決した。もう少し遅れていれば大きな事故に結びついていたであろう。関係者が顔を合わせるたびに壁1cmの浮きの発見が話題になった。


 学校周辺をゴミ袋を持って巡回していると学校周辺に住む住民から思わぬ情報をもらう。


 挨拶をして何度もあっているうちに懇意になってくる。


「そこの角の人目につかない場所に時々中学生と卒業生らしい少年がたむろしていることがあります」


 その場所に行ってみるとたばこの吸い殻が数本落ちていた。中に1本口紅の付いた吸い殻があった。下校時に生徒指導の教師と一緒に巡回する。


 朝は通学路を学校から逆に登校生と対面するように歩いてみる。通学路の問題点がはっきりして来るし生徒と顔なじみになってくる。


 今も以前も教頭の校内巡視は定着しているが、校長の学校周辺の巡回はあまり見たことがない。


 1日1回、学校周辺を巡回してみてはどうであろう。


 見えにくい学校の実態を知るにはこれに限る。


 最も単純な行動で、新しい発見をすることや地域住民との生きたコミュニケーションができる。


          健康にもよい。 やらない手はない O・Bより。