yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 59 鎖国のもとで特権貿易  芭蕉18歳

 1661年万治4年辛丑(かのとうし)4月25日寛文元年の3月3日に例年通りに長崎のオランダ商館長が参府して将軍に謁見した。その時に新しい条項が取り決められた。
 目的は鎖国のもとでも幕府が特権貿易商人を通じて利益を管理・統制することが目的であった。


 11月には見台所(将軍正妻)の費用を500両増額し、年額1000両とする。
 12月には、見物の芝居物は堺・葺屋・木挽3町に限定し、町中での勧進相撲・滅多的(めったまと)を禁止。勧進能は町年寄の了解を必要とした。
滅多的=盛り場で野師などが目隠しさせて射させる的矢のこと。


 芭蕉18歳、常に蝉吟の側にいてお伽(遊び相手)の少年時代から成人してからも学問や武芸や俳諧の相手をつとめた芭蕉は蝉吟の俳諧の場にも当然参加することができた。


 俳諧の原点は言語遊戯であるから俳諧を楽しむためには複数の人間が必要であった。当時の藤堂家の家臣の中には俳諧に名を連ねる人物はいなかった。


 芭蕉が唯一の蝉吟の話し相手であった。その関係で芭蕉も蝉吟の宗匠である季吟の教えを受けることになる。芭蕉俳諧の流れは松永貞徳、北村季吟そして芭蕉。


 言語遊戯である俳諧は、社交の場となり談笑の場となった。そのような環境の中で芭蕉は思わぬコミュニケーション力を身につけ発揮する生活がやってくることになる。