yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば 43  佐倉宗吾事件

 1645年 正保2年己酉(つちのととり)徳川家康の孫娘和子の娘、家康のひ孫の女帝が誕生して15年間在位した天皇を退位した。御光明天皇の3年目、時の将軍は家光(23年目)、時の権力者は大老の酒井忠勝であった。

 この年に佐倉藩領で百姓一揆が頻発した。農民の窮状を見かねて因旗郡公津村の名主、佐倉宗吾、本名は木内惣五郎が将軍に直訴して妻子とともに処刑されるという事件が起こった。

 当時の直訴は罪が重く当人だけではなく家族にまで刑罰が及んだ。
この事件はその後、義民として伝説化された部分が多く。事実として確認できることが少ないようである。

伝説の一つに、処刑場で、怖がって泣く幼い妹のウメに兄の長松が

「こわくねえぞ!アンちゃんを見ろ!」

と言って、眉毛を下げて舌をペロっと出した。長松は12歳、ウメはまだみっつ。長松は普段から妹のウメが泣くと、いつもこうしてベロを出して笑わせてきた。長松はベロを出したまま、槍に突かれて死に、見ていた村人達は、泣きながら笑い、笑いながら泣いたと。

また、妻と子供たちは処刑されずに親戚預かりになったという説もある。


 後に村人は彼を徳として祠を建て祭った。それが宗吾社であると。


 2月には高知藩で庶民の踊りや相撲を禁止した。風呂屋に女を抱えて客を宿泊させることを禁止。7月には江戸近郊に盗賊や無頼の徒が横行するので辻番所を各所に設置して、規制を厳しくし、守らない風俗不良の者を切り捨てることを指示した。


 江戸は落ち着きを見せながらも、一方で厳しい弾圧を繰り返して幕藩体制を維持していた。