yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸川柳 色は匂へ  「や」の3 焼餅 4 屋形者 5 薬鑵(やかん)

3 焼 餅


  焼きもちは人に喰わせぬ工夫なり    そんな焼き方もあるのか


  灰寄せに行くが女房の焼おさめ     灰寄せ(火葬の骨を拾うこと)


  やきはしやせんと女房いぶす也     いぶす手もあるんだ


  やく女房千人なみの下女をおき     千人なみでも油断はできない


4 屋形者(やかたもの)


  けいせいのす顔であがるやかたもの   悲しい遊びの国侍、下級武士の定め


  参考 屋形者=大名屋敷に仕える者、おもに各藩の勤番武士をいう。
     大名屋敷は暮六ツが門限で、夜間外出はできないのが原則。国に妻を置いて単
     身赴任の若い武士は生理的欲求を満たすために自然と遊里(けいせい)に昼間
     行くことになる。
     遊女は夜の稼ぎで朝が遅い。まだすっぴんで対応をする。


  人は武士正九ツに女郎買       正九ツは正午ですぞ


5 薬 鑵(やかん)


  茶のみ友達で薬鑵の水が減り     年甲斐もなくよせばいいのに


  参考 水が減る=腎水(精液)が減る。薬鑵=禿頭の隠語。


  お互いにいつか薬鑵になりました   気持ちだけは若いんだよ


https://conte55.blogspot.jp/2017/10/saruto.html コントたった一人の女客



つぶやき136  自 撰 めも句  その3

切っても切っても伸びてくる白木蓮
  (恐怖心を起こさせる家の木蓮。ほどほどに。)


綺麗な花には棘があることを自覚する
  (棘があるから綺麗に見えるのか。それはない。)


耳鳴りと蝉時雨が同時に聞こえる
  (聞こえない時もある。不思議だ。)


休日のチャイム学校経営そのまま
  (いいね。のびのびするぜ。)


一件消去していなくなった弟
  (あっさりと行ったなあ。寂しいよ。)


つぶやき 135  心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖

 般若心経の一節に「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃」 「心にけいげ無し けいげ無きがゆえに くふ有ること無し おんり一切てんどう夢想 くきょうねはん 」の言葉がある。


 まったく同感である。


 参考 罣礙=障碍(しょうがい)さわり、こだわり、わだかまり。
    心にけいげ無し=心になんの障りもないこと。無碍の一道です。


 こころになんの障りもない人は、恐れることがない。「障り」は人それぞれに異なります。何にとらわれているのかを知ると問題がよく見えてきます。障りのない人などは一人もいない。


 参考 一切顛倒=全てのものをさかさまに見る。無いものを有るようにみる。 
    夢想= 夢の思い。妄想。 究竟=究極、終極、最後。 涅槃=ねはん、さとり
        の世界、大安楽の境地。


 古今東西、人々は「心の障り」を脱却して平安に過ごしたいと悩み苦しみそれを脱却する修行を重ねてきた。それが仏教の歴史であろう。
 その脱却の方法を説いた基本が般若心経である。


 この歳になって、少しだけ「究竟涅槃」に至る道が分りかけて来た。その中の一つに「求めないこと」「集中すること」「任せること」「捨てること」などが実生活の中で身についてきたようである。


 とはいうものの。何か事が起こると悩み、迷い、苦しんでしまう。
 弱い体質を持っている自分を発見する。


 そんな時に「般若心経」を読み直し乗り切ることにしている。


江戸川柳 色は匂へ  「く」の4 国の母 5 釘をさす 6 公家

4 国の母


  国の母生まれた文を抱きあるき   母の愛。そのまま。


  参考 生まれた文=娘の初産を知らせる手紙。親類や知人に見せるために懐に入れて          持ち歩く。


  国の親手ごたえのする封をきり   何かあったのでは。緊張の一瞬。


5 釘をさす
  明けておくよと夜遊びへ釘をさし  困ったなあ。戸締り気になるよ。
  必といふ字心にくぎをさし     お見事。いい漢字だ。


6 公 家


  あくびのふたを一本つつ公家衆もち  あくびが出るほど退屈ではない。忙しいこと
                    もない。
  参考 お公家さんは用がなくてさぞ退屈であろう。あくびが出るとあの笏(しゃく)
     で口を覆うのであろう。


  折ふしは笏でおいどをちょいとやり   退屈しないよな。なるほど。





つぶやき 134  笑わない落語も味がある

 初めての上京で、上野鈴本亭に好きな桂小南がトリで出演するというチラシを見て早速出かけた。


 中トリに柳家小三治さんの「真田小僧」が終わったころ、放送で「桂小南師匠が都合のため、トリは桂歌丸師匠がつとめます。」と。
 そんなことで偶然の出会いで桂歌丸師匠の落語を聞いた。


 落語を聞いて笑った記憶がない、ただ真面目で几帳面な落語だったなあという印象が残った。
 学生時代は柳亭痴楽の「綴り方教室」にはまってよく笑い自分でもかなりの枕の綴り方を覚えて演じていた。
 ラジオやテレビでは、桂小南・古今亭志ん生・柳家小さん・などを楽しんでいた。


「上野を後に池袋、走る電車は内回り私は近頃外回り・・・」(痴楽)の山手線に乗ってから、じわっと歌丸師匠の落語が蘇ってきた。


 モウパッサンやオー・ヘンリーの短編小説を読んだ後の「読後感」のような気分が体の中を流れた。


 ゲラゲラ笑うような落語ではないがいい文学作品を読むような雰囲気を残す落語家であった。


 年齢も同い年であったので、歌丸師匠が病気になるたびに「頑張れ。」と声援を送った。師匠が元気に高座に上がると何故かほっとした。


 生涯現役で頑張りとおした歌丸師匠は私にとってのよい手本であった。
 初めての高座で偶然出会って「まじめで几帳面な落語家だなあ。」との第一印象のまま50年ほど歌丸師匠を観て来た。


 良い生き様を見せていただいてありがとう。ご冥福をお祈りいたします。


http://www.ctb.ne.jp/~bonta108
 遊行ライフ十人十色