yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸川柳 色は匂へ  「い・ゐ」の5 石打 6 石山 7 以上 

5 石打(いしうち)


石打の先達にくるまたいとこ    石でも投げ込まないでいらりょうか。


 参考 石打=婚礼の夜、近隣の青年たちがその家に石を投げ石習慣。地を打ち固める意
    味の習俗。
    先達=リーダー、ここではまた従兄弟がリーダー。


腹のたつ顔もまじって水あびせ    恋敵か水のかけかたが違うで。


    習俗にことよせて自分の思いをぶちまけあきらめる。そんな意味も含む行事で
    あったのでは。


6 石山(いしやま)


石山で所化衆(しょけしゅう)そのころそわそわし
       この気分。どうしたことだ。これが修行か。色即是空、花ざかり。


 参考 石山=近江の石山寺。紫式部が源氏物語を書き始めたところ。  所化=修行中
    の僧。
    美しい妻女が逗留していては修行中の若い僧にとっては煩悩で体がはちきれそう
    になることだろう。


大こくのやうに紫式部見へ    修行が足りないぞ。修行積んでからだ。


 参考 大黒=大黒天の略。大黒天が厨(くりや)に祀られたことから、僧侶の妻の俗
    称。


堅い寺見たてて式部借りるなり   石山だからさぞお堅いだろう。安心。


7 以上(いじょう)


師匠さまかしこと以上別に置き   男女7歳にしてだよね。


 参考 かしこ=女性の手紙の結びに書く語。以上=男性の手紙の結びに書く語。当時の
    塾は手習い師匠が児童を男女別に座らせて、手紙の書き方なども教材として指導
    していた。



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江戸を見れば 111  役人の不正が横行

 1713年正徳3年癸巳(みずのとみ) 勘定奉行荻原重秀の失脚後10月14日に将軍家宣が没した。
 家宣は、風邪をひき10月14日死亡、51歳。家宣の遺体は20日に増上寺に移され、11月2日葬儀が行なわれた。


 5歳の家継が第7代将軍の座についた。家継は短命で1716年に7歳で亡くなられた。


 将軍の短命と天災・人災が連続して生活不安も増大した。そのような状況の中、日本全国で代官配下による不正が横行した。


 側用人間部詮房(まなべあきふさ)は、事務的能力には優れていたが政策能力や政治的手腕に欠けていたために新井君美(きみよし・白石)が改革の提言や実行に取り組んでいた。


 中でも年貢の額を決定する役人の不正は目に余るものがあった。


 検見法(けみほう・毛見法)といって、米の収穫前に幕府・藩庁から役人を派遣して、毛(け、稲穂のこと)の実り具合を検査してその年の年貢の額を決めた。


 年貢、税金の決定にあたっての改竄、隠ぺいによる政府役人の不正が全国に及んだため、幕府は過去数年間の収穫量を平均して一定の年貢額を決める定免(じょうめん)法に切り替えることを検討し、1727年、享保12年より実施されることになった。


 新しい改革一つのために14年ほどの年月がかかった。改革は遅々として進まないのに庶民の生活の変化は大きくかわっていく。政治が追いつかない。一部の人のための政治が続いていく。



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江戸川柳 色は匂へ  「う」の3 胡散(うさん) 4 牛方(牛方) 5 丑の日(うしのひ)

 3 胡 散


うさんといふにほひ女房かぎ出し   女房が嗅ぎつける恐るべき能力。第六感。


 参考 胡散=うさん臭い、疑い怪しむべきこと。


三味線がばったりやむとうさん也   ひっそりと、なんだ、どうした。あのやろう。


 4 牛 方


牛方のあきらめて行くにわか雨    牛のテンポにあわせて、濡れて行くか。


 参考 牛方=牛を使って運搬する職業。 絵になる風景だね。


 5 丑の日


丑の日にかごでのり込む旅うなぎ   鰻さまさま、江戸っ子だねえ。
  
 参考 丑の日=土用丑の日に鰻を喰う。 旅うなぎ=深川あたりでとれる江戸前うなぎ
    が不足して各地の鰻が駕籠に乗って江戸に来る。
    鰻の需要は昔から追いつかった。今は飛行機で日本全国に鰻が旅をする。



つぶやき 127  「終わった人」の人生目標

 何をもって終わった人と定義するのか。私は古代インドの人生を4っつに区切る思想の中で遊行期をもって「終わった人」の始まりと考えたい。


 第一の学生期(がくしょうき)=世間に生きるすべを学び、体をきたえ、きたるべき社会生活のためにそなえる青少年の時期を通過し、


 第二の家住期(かじゅうき)=大人になって職業につき、結婚して一家をかまえる。子供を産み、育てる。ことも終わり、


 第三の林住期(りんじゅうき)=職業や、家庭や、世間のつきあいなどのくびきから自由になって、じっくりと己の人生をふり返ってみる時期もどうやら終わりに近づいたようである。


そして、いよいよ


 第四の遊行期(ゆぎょうき)=人生の最後のしめくくりである死への道行きであるとともに、幼い子供の心に還っていくなつかしい季節に入っていく時期になったなあと思える。


 年齢的に言えば80代からが遊行期であろうか。人それぞれで精神的な問題を多く含むので一概には言えない。
 私の場合、定年退職後が林住期にあたるようで、家住期の段階から林住期の過ごし方の心の準備をしていたので、「終わった人」にならずにスムーズに林住期に入り、遊行期への心の準備をしていたのでこれも亦抵抗なく迎えることができた。


さて、今、「終わった人」の始まりである遊行期、真っただ中に入った。


 人生100年時代、80歳からの20年間は、諸先輩の生きざまを参考に孤独を自覚し、「寿命はあるまで、生活は一生。」の覚悟をもって自分らしい生き方で遊行期を旅しよう。


 文学や宗教や人との出会いを深く味わうことを、「終わった人」の始まりの人生目標にしたい。


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江戸を見れば 110  賄賂で勘定奉行を罷免

 1712年正徳2年壬辰(みずのえたつ) 古今東西いずこも同じ、権力にまつわる贈収賄事件が花ざかり。


 17年間の実績を持つ勘定奉行、荻原重秀が賄賂によって巨額の富を蓄積したという理由で罷免された。


 これは新井君美(きみよし)の三度にわたる決死的な封事(ふうじ、他見をはばかり密封して君主に奉る意見書、意見封事)によるもので、官民癒着のお手本のような賄賂であった。


 御用商人の中でも荻原重秀勘定奉行と深い結びつきがあったのが材木商人の紀伊国屋文左衛門(紀文)と奈良屋茂左衛門である。


 将軍綱吉時代は土木工事が盛んにおこなわれた。工事は入札制であるために賄賂がつきまとっていた。商人は工事を請け負うことで莫大な利益を得、その何割かを権限を持つ人、勘定奉行重秀に贈った。


 新井君美(白石)は、財政窮乏の要因は入札制における役人と商人との結託であると指摘し改革に取り組む。


 勘定奉行重秀の失脚とともに、紀伊国屋文左衛門(紀文)も奈良屋茂左衛門(奈良茂)も共に没落していく。


 日本全国、大なり小なり贈収賄事件は頻発している。日本だけではない韓国、中国と贈収賄事件の生々しいニュースが話題を呼ぶ。


 贈収賄を放置していると最終的には国家が崩壊していくので、時の権力者は監視の眼を厳しくしている。時の最高権力者が賄賂事件にかかわっている場合もある。


 賄賂は古くて新しい永遠の課題である。賄賂問題が無くなることはない。ただ時の権力者がこれをどう利用するかにかかっている。政治家と官僚と企業の三位一体の生き様である。