yukemuriのブログ

コント(掌編小説),いろはカルタ随想、江戸川柳色は匂へ、花かるた色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。

新しく「江戸を見れば」265年の整理に取り組んでいます。

江戸を見れば   28 思想・宗教・文化の統制強化

 1630年 寛永7年庚午(かのえうま)統制強化をしなければ不安になるほどの文化の大衆への広がりが始まったことの表れである。
 芝居見物、相撲見物にはじまって、踊りや三味線、生け花や茶道、義大太夫・小唄・長唄、俳諧・川柳・狂歌、囲碁・将棋などとあらゆる面で大衆への広がりの芽が出始めた江戸初期である。


 京都誓願寺の住職、安楽案策伝が、千余りの笑話を醒酔笑という本にまとめて刊行したのが、1623年(元和9年)三代将軍家光の初年度である。
 小僧の時代から書き溜めたものを京都所司代・板倉重宗の求めに応じて、70歳の時にまとめた。一部武士階級の間で流行し始めていた。だからといって、咄を職業とするものが現れるまでには、50年ほどの歳月を必要とした。
 現在の落語の中には、「醒酔笑」にその原話があるものが多い。


その1例
 ある寺の小僧が、夜ふけに庭で長い竿を振り回している。寺の住職が「何をしている」と聞くと、「空の星を取ろうと思って、この竿でたたき落そうとしています」と答えた。
 住職が、「なんと馬鹿なやつだ。そんなところから星まで竿が届くわけがないだろう。屋根へ上がれ」


 説教に笑い話を取り入れて、笑いの中に宗教的な感動や人生観を伝えていった宗教活動も大衆文化の芽生えに大きく貢献した。


 宗教家の弾圧、書物の検閲、キリシタンの追放や処刑などを厳しく強化しても、大衆への文化の広がりを抑えることが難しかった。やがて江戸の文化が花開くときがやってくる。


花かるた 色は匂へ 「ら」の2 蘭 (秋)

  五年物十年物や蘭の鉢   保田白帆子


  ランの花言葉、 美しい淑女、優雅


  
  季節の花300より(胡蝶蘭)「華やかさ、厳粛な美しさ」


  

  季節の花300より(パフィオペディルム)「責任感が強い、思慮深い」


  

  季節の花300より(カトレア)「純粋な愛、品格の備わった優美さ、成熟した年配の人の魅力」


 蘭の鉢植えを贈り物として頂くことが多いが3年過ぎるころから花を咲かせることができなくなってくる。今では花屋の店先で蘭の花を観賞することで満足している。ずぼらものですね。


江戸を見れば 27  859年ぶりに女帝誕生

 1629年 寛永6年己巳(つちのとみ) 幕府は朝廷に対して圧力を強めた。10月10日に家光の乳母、斎藤福は参内して御水尾天皇に謁し春日局の称号を賜る。
 天皇は11月8日に和子(2代将軍秀忠の娘)の産んだ明正天皇に譲位した。幕府に不満で天皇が退位するという一つの事件であった。


春日局=徳川家光の乳母、名は福、父は明智光秀の重臣斎藤利三、稲葉佐渡守正成の妻。稲葉正勝(のちの小田原城主)を生み。その後離別して大奥に入る。
 家光を育て、その地位を堅固にし、大奥を統率する。江戸湯島に天沢寺(のち麟祥院)を建立した。


 震災、大火、暴風、洪水と日本列島は大荒れに荒れていた。


 農民暴動や逃散、江戸の町では辻斬りが頻発し、政権運営は大変な時であった。
 辻斬り対策として、幕府は辻番所を設置する。辻斬りは武家屋敷の近くで行われ、武家屋敷にある小路や辻々に大名や旗本に自警のための番所を設けさせた。
 幕府の設営の番所を公儀辻番といい、大名・旗本の一家だけのものを一手持辻番。共同のは、組合(寄合)辻番。町方設営のものは自身番である。
 治安維持のために辻番は段々と増えていった。
 また、治安維持のために風紀を乱すという理由で、女浄瑠璃・女舞・女歌舞伎などが禁止された。


 現代の派出所、交番、自治体の夜警活動などの原型となった。


花かるた 色は匂へ 「な」の5 南天の花(夏)

   南天の花のひそかに盛りなり   藤松游子


   
          季節の花300より


 ナンテンの花言葉は、私の愛は増すばかり」「良い家庭」

「私の愛は増すばかり」の花言葉は、初夏に白い花が咲いた後、その実が晩秋から初冬にかけて真っ赤に色づく姿に由来するともいわれます。


 近頃一足先に鳥に食べられて正月の生け花にする時期には赤い実はゼロになってしまい、今では正月の生け花にはしていない。赤い実がないと少しさみしい。
 南天の花が散って初めて花が咲いていたんだと気づく始末である。花は地味だけれども赤い実は元気が出る。


       季節の花300より
  
 

秋に赤い実をつける。鳥が食べない限り冬中見ることができる。(鳥の大好物のようです)実を乾燥させたものには「せき」止めの効き目がある   → のどあめがありますね。

 また、葉には「ナンジニン」という成分を含み、殺菌効果がある。

 福寿草の花と南天の実とセットで「難を転じて福となす」という

 縁起物の飾り付けがされることがある。(特にお正月に多いですね)。 また、無病息災を願う、「南天の箸(はし)」というのもある。

 防火・厄除けとして庭先や鬼門にも植えられる。


 家の庭には、邪鬼の侵入を防ぐとされるヒイラギを表鬼門(北東)に、ナンテンの木を裏鬼門(南西)に植えるとよいとされています(鬼門除け)。


江戸を見れば 26  絹紬と布木綿で差別

 1628年 寛永5年己辰(つちのとたつ)幕府権力は身分制度の固定化を図るために士の最下層と農の階層を差別するために、若党にあたる最下層の士には絹紬を農の階層には布木綿を着用するように規制した。
 幕府の方向はすぐに諸大名の支配にも取り入れられて日本全国に広がっていく。そしてあらゆる面で幕藩体制の政治・経済機構が形成されていった。
 徒士・若党・弓鉄砲のものの衣服は、絹紬はよいがそれより上品なものは禁止、しかし、主人より与えられたものは特別に許可。農民は布木綿、庄屋と農民の妻女は紬まではよいが、それより上品なものは禁止とする。


徒士(かち)=徒歩で行列の先導をつとめた侍、小身の侍。
若党=武士の従者で武家奉公人の最上位で、戦闘に参加したが馬に乗る資格がない軽輩を指す。
弓鉄砲=弓組や鉄砲組の歩卒。平時は雑役(ぞうやく)にあたった。弓鉄砲足軽ともいい、武士の最下位のくらい。雑兵(ぞうひょう)徒同心(かちどうしん)とも呼ばれた。


 きめ細かい差別を組織化して、全体の統制を図る一方では、相も変わ
らずキリシタン禁教令をだし、男性は死罪、女性は婢とし、家財を没収
した。
 藩士中の信徒代表のルイ甘糟右衛門尉信綱(あまかすうえもんのじょうのぶつな)に棄教を迫ったが、応じないので彼の一家奴婢を合わせて11人、他に信徒20人を斬首の刑にした。(奴は男、婢は女、召使の下男と下女で身分的には最下位。)


 日本人は宗教に対しては受け入れる心が大きいと思っていたが時の権力者は徹底的に弾圧をしてきたのを改めて認識した。現在はどうであろうか。新興宗教と政治権力の実態は。国民の意識は。