yukemuriのブログ

コント(掌編小説), いろはカルタに纏わる思い、人情の機微に触れる江戸川柳色は匂へ、趣味の5・7・5アラカルト俳句と川柳。
爺が時事や事事をつぶやき暇つぶしを楽しく、あっさりと ずばりと、そして、すっきりと 晩年を過ごしたいものである。

5・7・5アラカルト  川柳16

 不渡りと五輪音頭が入り乱れ   後藤閑人

 東京オリンピックは、1964年(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日の期間にかけて日本の東京で開かれた。


 五輪音頭に踊って一攫千金を夢見た人が多くいたが本当に儲けたのは限られた人だけで、大多数の人が不渡りを手に大変な生活をした。


 さて今回の2020年の東京オリンピックで笑うのは誰だろう。
スポーツの夢を食いものに一儲けする賢いやつがきっといるぞ。


花かるた 色は匂へ 「る」 縷紅草(るこうそう)(夏)

   相語る風雨の跡や縷江草   久保ゐの吉


    

       季節の花300より

 蔦性で垣根や木にからみながら伸びて行く、別名「るこうあさがお」とも呼ばれる。熱帯アメリカ地方原産の昼顔科。


    

          季節の花300より


  咲いてはしぼみ、次々と咲き続ける。日よけに仕立てる人もいる。


コント56   わしは出家するぞ

 わが子のどもる姿はまさにわが心の震えであった。


「神よ。仏よ。この私の心の震えを止めてくだされ、義統のどもりを治し給え」


 義鎮は夜ごと頭を打ち抱えて苦悩する日が多くなった。


 武芸道場を出ると決まって学習館に立ち寄ることが義鎮親子の散策コースになっていた。
 豊後国府内の学習館は12歳以上の男子を対象に士農工商を問わず試験の上で入学を許可し4年間の勉学ののち優秀な生徒のみ添書をつけて足利大学へ入学させていた。
 生徒数は約500名で毎年卒業式と入学式を同一の日に行い、館長は儒学者の森寿阿弥是(もりすあみぜ)であった。


 ちょうどこの日、京都大徳寺より招聘された怡雲禅師の本年度第1回の「般若心経」の講義が始まろうとしていた。


 義鎮のすばらしさはどのような相手に対しても真剣に耳を傾ける姿勢があった。特に一つのことに造詣がふかいとか、変わった特技を身につけている人に対しては心から耳を傾け相手を大切にもてなすところがあった。


 ザビエル神父に対しても怡雲禅師に対しても普通では考えられないほど素直になることができた。


 怡雲禅師は30名ほどを前にして講義を始めた。


「般若心経とは何ぞ」怡雲禅師は語りかけた。
「先ず、般若の意味でござるが、般若すなわち仏陀の智慧なり、覚者の智慧なり、最高の智慧なり。故に、般若心経とは最高の智慧の真髄でござる。
かんじざいぼさつ、ぎょうじんはんにゃはらみったじ、しょうけんごうんかいくう、どいっさいくやく・・・」


 ずしりとした怡雲禅師の声が義鎮の体の中を通り抜けた。今まで震えていた心が一瞬ぴたりと静まった。義鎮ははっと心眼を見開いて心を無にして正座した。


 怡雲禅師の後に続けて全員による読経が学習館いっぱいに充満した。


 義鎮は自分の耳を疑った。


 4歳の義統が小さな声で、どもらずに「かんじざいぼさつ・・・」と読経しているではないか。
 この時の義鎮の驚喜は大変なものであった。義鎮は意を決した。


 怡雲禅師はさらに続けた。
「般若のために生命を失うものは、真の生命を得るなり、大死一番、絶後に蘇る。自己を否定しつくして、そこにさらに偉大なる自己が肯定されまする」


 義鎮はここに出家することを決意した。その夜、月心和尚を呼んで久しぶりに和尚と酒を飲んだ。今宵の酒はすがすがしい。


「和尚、わしは出家するぞ」


「それは結構なことでござりまする。ザビエル様はさぞかし残念がることでござりましょうが、大友家にとっては何よりかと存じまする」



江戸川柳 色は匂へ  「の」 後 添 のちぞへ

 後ぞへは支度も里もないをいれ

 後妻を迎えるのは江戸時代でも大変だったようである。支度がどうの里がどうのと言っていては来てはない。条件なしの元気者が一番である。だから、相手も再婚者や水商売の女が多かった。


 後添の連れてくるのは女の子

 江戸時代では離縁の際、男児は父、女児は母が引き取るのが原則であった。
 落語などでは、江戸では独身男性が多かったので大奥勤めや水商売上がりや後家さんは再婚に不自由はなかったようである。


つぶやき 67  7775の世界へ

 寛政十二年(1800年)、名古屋は宮の宿場遊里の女中の お仲さんらが唄い始め、これが流行って広まったと言われている都都逸が面白い。
 江戸の終わり近くから、明治、大正、昭和の「相聞歌」として眺めると人情の細やかさが身に染みてなかなかなものである。歴史的には200年そこそこと短歌、俳句、川柳などに比べるとかなり浅い。


 面白いのは、7775の歌詞の歌で歌えるところである。


 三千世界のカラスを殺し 主と朝寝がしてみたい(伝:高杉晋作作)


 晋作も身近に感じる粋な人。


 九尺二間に過ぎたるものは 紅のついたる火吹き竹(伝:河合継之助作)


 継之助もつつましく恋女房と暮らしていたんだなあ。


 諦(あきらめ)ましたよ どう諦めた 諦めきれぬと 諦めた (伝:都々一坊扇歌作)


 都々一坊扇歌はどどいつ節を江戸の寄席の高座で唄って、関東で大流行させた人。 坊主姿の音曲咄(はなし)家で、超売れっ子だったとか。(1804~1852)


 惚れて通えば千里も一里 逢わで帰ればまた千里


これ声に出してみません。
♪ 土佐の高知の はりま屋橋で~ 坊さんかんざし 買うを見た ♪
♪ 会津磐梯山は 宝の山よ 笹に黄金が~ なり下がる ♪
  ダンチョネ節も7775なので歌えます。田畑義夫さんの帰り船も合い  ます。


     追  記
トランプめくって あなたのよさが ひと際光るネ
オバマさん  ダンチョネ